なぜ悲劇は繰り返されるのか? 第1章:なぜ、改善できないのか ③-1

これは日本社会における“抗争回避心理”や“心理的・精神的恐怖”が若年層まで浸透していき、“ここで何かアクションを起こすと何をされるか分からない”という本人心理と“ここで関わると自分にも危害が加わるかもしれない”という第三者心理が混在することで事態の発覚が遅れてしまい相手の特定が出来ない、その結果、泣き寝入りしなくてはいけないという結果が常態化してしまうのだ。

 しかし、立場が変わると“なんであんなにたくさん人が居るのに誰も助けてくれないの?”・“誰か助けて!”という被害者心理と自己保身的心理が加わることが多い。これは“自分がやられているなら助けて。だけど、他の人には同じ事は出来ないけど。”という矛盾した価値観が生まれている証拠なのだ。

 この心理が生まれる背景に幼少期から“お互いに何かあったときは助けてあげないといけない”という教育を受けてきた影響だろう。しかし、この教育の方程式が崩れる瞬間というのがある。それが“いじめ”や“仲間はずれ”といった価値観の違う人たちを切り離して、同じ価値観の人だけを助けるという“自己有益”の考え方を身に付けた時だ。そして、社会に出ると“誰かが困っても周囲は誰も助けない”という状況を繰り返し見ることで次第に“自分が助けなくても誰か助けてくれるだろう”という理由で誰かが困っていても助けず、自分が何かあったときには助けて欲しいと思うのはどこか自分勝手という気がしてならない。

 これはいじめやハラスメントと同じで、新入社員に対して優越性や自身の立場を利用して、嫌な仕事を押しつける。すると、相手はその仕事を拒否することが出来なくなる。なぜなら、立場が上の人で課長などの役職者と繋がっている人なら自身の立場を悪用して試用期間終了後に解雇される可能性があるのだ。

 そして、試用期間終了後に解雇されなかったとしても同じような行動を再び部下にするようになるという負の連鎖が生まれてしまうのだ。

 この繰り返しが、現在の社会において格差や差別・偏見を助長している部分がある。例えば、“大手企業の部長”と中小企業の部長では世間のイメージが全く違うし、前者の方は仕事が出来る、影響力があるという“社会的価値”や“ブランドイメージ”が先行していく。そのため、そのような人が発信することで多くの人が“なるほど!”と共感しやすく、周囲にも“○○さんが言っていたよ”と言うことでイメージがしやすくなるのだ。

 一方で、後者の方は世間の認知度や社会的影響力によって異なるが、それなりに認知されている企業に属している人の場合は世間的にも役職に関するイメージでは問題ないが、“会社名”や“勤続年数”で判断された場合、社会に対して浸透していない企業だと批判や誹謗中傷に発展する可能性もあるのだ。

 このような複雑かついびつな社会構造がこのような改善点を潰してしまい、現時点で改善完了するべき課題が後回しになってしまう。

 これでは同じ事例が起きたとしても後手に回り、公平・公正な判断が難しくなってしまうのだろう。1度、古い体質や風潮にメスを入れて、きちんと時代相応な対応が出来るように法の管理者である政府を含めた国会で適宜改正などをして行く必要があると私は思う。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。