なぜ悲劇は繰り返されるのか? 第9章:矛盾した価値観 ①

現在の日本における人材選択等の際に発言した人の価値観に違和感を覚えることがある。

 それは“私たちはこのメンバーでみなさんのお役に立てるよう活動していきます”や“私たちは能力の高い人を採用します”のように選ばれた人=自分たちの自信を持って選んだ人になっていることだ。

 もちろん、これらの人を自らの手で選んだことに対しては評価するべきだが、その先に目を向けてみるとかなり疑問に感じる部分も見えてくる。

 例えば、新しく採用した人で社会的イメージを上げて、それ以外は全く参加していないなど“利益のため”・“宣伝のため”・“社会的イメージ向上のため”に人を採用することは見方によっては“都合主義”でかつ“自己利益のための他者利用”に見えるのだ。

 このように日本というのは“ブランドイメージ”や“開発者の認知度”など社会からどう見られるか、どのように認知してもらうかを先に考えてしまう。そのため、1度何らかの不祥事を起こすと取り返しの付かない事態に発展することもしばしばで場合によってはそのまま倒産や経営悪化等に繋がることもある。

 しかし、その細部を見ていくとある傾向が見えてくる。それは、表向きには“早期退職”や“出向”など本人と会社側が話し合って、これらの判断が下されたかのように装い、人員削減等を実行していることになっているが、裏を返すと“立場の弱い人間を水面下で不当解雇し、退職理由も自己都合にする”・“何らかのトラブルがあったときに「あなたはどこに行っても仕事が見つかる」などとあたかもその人の責任かのように相手を洗脳し、精神的に追い詰めて組織から排除する”など会社にとって必要な人物以外は徹底的に排除するという方向に動くことが多い。

 私はこのような行為を受けている人は社会的に声を上げにくくなり、社会的孤立など社会というコミュニティから離れていくことを選んでしまう。その結果、労働人口に対する就労人口の減少が止まらなくなることになる。そして、これらの行為を受けた人も1度なら他の企業への再就労なども考えられるが、これを何度も繰り返されてしまうと“自分は社会から必要とされていない”・“自分は働いてはいけない”のように脳が否定的な思考回路を形成してしまうため、精神的に追い詰められていき、自暴自棄を起こして自殺や引きこもりなど自分を守る為の行動や殺人や傷害、窃盗などの犯罪行為を実行する、他者に危害を加えることに対して抵抗がなくなるなど精神的にも心理的にも誤った方向に物事を捉えやすくなるだけでなく、“自分に対してやったことを自分も他人にやってみたい”という心理が生まれてしまうのだ。

 特に現代はテレビゲームやアプリなどで人を殺めるゲームや周囲にばれないように罪を犯すゲームなどが販売されており、このようなゲームを繰り返しやること、暴力的な映像の含まれる映画やドラマなどを誰でも見られる状態になっていることで、“そういう事をしてみたい”という心理が年代を問わずに芽生えやすい環境になっている。

 その結果、あらゆるバランスが崩壊し始めて、自分の事しか考えられなくなるのだ。

一方で、このような事をした当事者たちは“あの人がいなくなって良かった。”や“私がやったミスだったけど上司に気に入られていたおかげで上司が気に入らなかったあの人に濡れ衣を着せて追い出せて良かった”など自分たちのミスが社内のパワーバランスによって帳消しに出来るだけではなく、自分の気に入らない人を自分の意思決定権や人事権などの強い人を利用して組織などから追い出すことが出来るのだから本人たちにとっては働きやすい環境を整備することが出来ると勘違いしてしまう。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。