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35歳から始める無職生活 ~ずっとステイホーム~

こんにちわ。
昨年35歳になったタイミングで7年ほど居た会社を退職して無職になりました。
最初のエントリなので自己紹介がてら職歴を振り返ります。
※タイトルにあるような無職生活の話はほぼありません

22歳: SIerエンジニア

新卒で入ったのは中小独立系のSIerでした。
最初の1年半は社内で受託開発をやって、それ以降はFXの会社に常駐して4年ほどお世話になりました。
夜間の障害対応があったり、リリース作業が土日にしか行えないなど大変な面もありましたが、面白い人がたくさん居てトラブル対応すら楽しんで取り組めていたのを覚えています。

ただ、外のエンジニア勉強会に参加するようになってから、携わったシステムのアウトプットが出来ないことに危機感を覚えました。市場価値の向上が見込めない現実を打破しようと、転職をしました。

28歳: 渋谷IT企業エンジニア

緑色のぶよぶよしたやつが当時トレードマークだった渋谷の会社に転職しました。当時はスマホアプリ黎明期で、社をあげてサービスの立ち上げを大量に行っていた時期です。配属先の部署は出来たばかりで毎月とんでもない人数のエンジニアが入ってきていたのを覚えています。

最初に関わったのはマッチングサービスでした。今でこそマッチングとか言われていますが当時はまだ「出会い系」と呼ばれていました。競合の調査で複数の出会い系サービスに登録したのですが、僕は既婚者なので奥さんに見つからないか怯えていました。
開発チームは僕を含めみんなJavaだったのですが、うちのチーム以外は全部PHPでした。共通APIライブラリなどもPHPしか用意されていなかったので、技術的に完全に孤立無援な状況でした。さらに当時出て間もない「アプリ内課金+サブスクリプション」に対応しなければならず、手探りで試行錯誤する毎日でした。

2つ目に関わったサービスは女子高生&中学生向けのSNSサービスです。30歳手前のオジサンがユーザの気持ちに近づこうとティーン向け雑誌を読んで勉強しましたが、何一つ身につきませんでした。
開発は数ヶ月の間一人だけで、設計から大枠の開発を一人で行いながら、チームメンバーが増えるのを待ちました。
そのうちチームメンバーが増え、チームリーダーになり、要件の調整やスケジューリング、品質管理をしながら開発をするようになりました。時間がかかるが優先度が高くないような開発に専念することでなんとかボトルネックにならないようにしていました。

3つ目に関わったのは女子高生向けのブログサービスです。チューしてるプリクラとかがアップされていて世も末だと思いました。このサービスは既にローンチして2年以上経過している状態からジョインしました。
この頃から小さい部署の取りまとめや、大きい部署の技術横断組織などに携わりはじめていて、とても小忙しかったです。

この頃、突然プログラムが書けなくなりました。イップスとかスランプみたいな感じで、プログラムが思いつかない、ゾーンに入らない状態が続き、それをカバーするために超長時間労働でひねり出そうとしていたのを覚えています。
上司に正直に話して仕事量を減らしてもらい、仕事量はガッツリ減ったのですが、肝心のプログラミングが元通りとはいかず、環境を変えることで解決しようと異動をすることにしました。

30歳: 渋谷IT企業子会社エンジニアマネージャー

ネット広告代理店の子会社に異動(出向)し、アドテク系プロダクトにエンジニアとしてジョインしました。広告知識がゼロの状態で不安だったのですが、ググったらいっぱい出てくるのでなんとかなりました。

色々と経緯もあり仕方なかったんだと思いますが、プロダクトは非常に古い技術で構成されていました。その他にもリリースが手動だったり、DBが冗長化されていなかったりで途方にくれました。どうしたもんかと考えていたところ、開発責任者に空きが出ました。組織レベルでガッツリ変えようと思い、任せてもらうことにしました。

開発責任者になって少しづつ改善を進めながら、マネジメント業務を並行して行っていました。
この頃、中途採用の面接官を初めて経験しました。当時はアジア圏や英語圏のサポートエンジニアを重点採用していたので毎日面接に追われていました。日本語がほぼ話せない方も面接にいらっしゃるなかで僕のハートは鍛えられました。

あと、アポというのも初めて経験しました。僕は方向音痴なのですが現地集合だったり、新卒の研修以来ぶりに名刺交換したり、一人でGoogle行くことになったり、初対面の方なのにトラブルの謝罪をしたりする中で、僕のハートはさらに鍛えられました。

エンジニアの人数が増えていく中で、新しい広告プロダクトが複数立ち上がったので、横断してマネジメントや採用を担当することになりました。
この頃はアポと採用面接の隙間で、新規プロダクトの管理などを行っている状態だったと思うのですが、忙しすぎて記憶に残っていません。

32歳: 渋谷IT企業子会社CTO(仮)

CTO室的な技術組織を立ち上げたのですが、速攻で終わらせました。
後日談ですがどうぞ。

32歳: 渋谷IT企業子会社VPoE

プロダクトの中で今まで関わってこなかった開発以外の部分に関わるようになりました。蓋を開けると手動運用や大量の雑務など過酷な環境になっていて、同じプロダクト組織にも関わらず向き合ってこなかったこと、組織バランスを欠いていたことに気が付きました。
エンジニア以外のメンバーの業務プロセスを見直して負荷を下げたり、自分で巻き取って自動化したりする中で、次第にプロダクト組織全体の課題に関わることが増えてきました。

またこの頃、プロダクトに関する採用業務を人事から巻き取りました。スカウトとか書類選考とか選考管理とか労働契約とか。採用プロセス全体を担当することで、組織計画と採用計画を立てて自分で実行して、反映修正するまでを包括できるようになりました。あと組織全員の1on1を巻き取って育成と評価を行うようにしました。
業務や組織の改善、採用、育成評価が一人で完結することによって効率が良かったです。

一応VPoEと書いてはいますが転職でわかりやすいようにしてるだけで、実際は「人事とか色々やる責任者」がメンバー内の認識に近いと思います。

35歳: 無職

そして退職し、今に至る

退職した理由について聞かれることもあるですが、新しい事を始めるなら絶対に「35歳」だと以前から考えていたので実行に移しました。

次の職場で何やるかはわからないので、忘れないうちにノウハウ系の記事を書いていこうと思います。

おわり

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