能登直(のとすなお)

仙台で広告カメラマンのアシスタントを経て、2005年に独立。 現在は都内をベースに人…

能登直(のとすなお)

仙台で広告カメラマンのアシスタントを経て、2005年に独立。 現在は都内をベースに人物撮影を中心とした広告写真や、フィギュアスケートをはじめとするスポーツ写真など、幅広く日々撮影してます。 https://www.apresto.jp/

マガジン

最近の記事

どうしてもやりたかった連載撮影。

ちょっと前回の投稿から時間が空いてしまいました... ようやく感染拡大が日本では収まりつつあります。 そんな僕も先日約2ヶ月ぶりの撮影の仕事があり、車で往復7時間弱かけて都外で撮影してきました。もちろん人物の撮影ではなく、建築系の撮影です。 このような状況の中でも仕事をいただけることに感謝しつつ撮影してきましたが、久々のロングドライブは鈍ったカラダにはちょっと厳しかったようで、復活に時間かかりました(苦笑) さて、今回は2008年の大ちゃんの怪我から復活の道のりを「Spo

    • フィギュアスケート元年だった08-09シーズン

      今日はゆる〜くこの当時を振り返ります。 2007年に日本でiPhoneが発売されてすぐ購入し、それ以来スケジュールをiPhone上で管理しているので、見返してみました。 下に、このシーズン撮影した主な日程を記しました。 (海外の大会は出発日〜帰国日の表記です) 2008年の世界選手権後のフィギュア撮影記録 2008年 4/20 ジャパンオープン(さいたま) 4/25 プリンスアイスワールド ゲネプロ(新横浜) 6/28 ドリームオンアイス(新横浜) 7/5    フレ

      • ”世界”と戦う舞台 ~2008年世界選手権~

        2008年3月、はじめての海外試合の撮影を経験します。 マイルも飛行機のアライアンスとかも全くわかっていない頃です。 ひとり移動の不安と、世界での戦いはどういうものなんだろうというワクワクを抱えながら、試合が行われるスウェーデン・イェーテボリまで移動します。 1年前の自分では想像できなかった。 ひとりでスウェーデンに来るとは。しかもフィギュアスケートを撮るために海外に出るなんて。 会場に来てるフォトグラファーの数も多く、スポーツを専門に撮ってる訳じゃない僕は、初めての雰囲

        • わんこのひるね。

        どうしてもやりたかった連載撮影。

        マガジン

        • フォトグラファーの日々
          能登直(のとすなお)
        • 「写真」
          能登直(のとすなお)

        記事

          2007年仙台に住んでいた縁。

          タイトルのことについて、たまに考えることがあります。 本当にいろいろな巡り合わせがあって、今の自分があるな〜と。 そして2007年は運に恵まれた年であったことは間違いないと思っています。 イタリア合宿の撮影から帰国後、書店に並ぶフィギュアの本を見てみた。載ってる写真を見た印象は「どの写真もカタログみたいに全身全部入ってるんだな」 これが基本の撮り方なのかと思いつつ、同じ撮り方をしてもフィギュアの仕事を新規で受けるのは無理だろうと考えた。 全身を手足切れないようには撮りつつ

          2007年仙台に住んでいた縁。

          フリーランス2年目、2足のわらじに。

          2005年12月にフリーランスになってからあっという間に1年が経った気がします。 順調に仕事も増え、2年目が始まりました。 2007年7月にはイタリアで行われた、フィギュアスケート日本代表チームの合宿に同行して撮影という、願ってもない話しが舞い込んできます。 2006年も後半になると、念願だった人物撮影の割合が増えた。 ただ仙台では、仕事をえり好みすることなく、あらゆるものを撮影できないと食べていけない。 仙台は東京に比べて圧倒的に撮影の案件数も、予算のボリュームも少ない。

          フリーランス2年目、2足のわらじに。

          a presto!!

          "a presto” イタリア語で「アプレスト」と読みます。 英語の "see you again" に近い意味のコトバだとなにかで知り、また会いたいと、また仕事をお願いしたいと思える人に成長していきたいという思いから、この”a presto”を僕のフリーランスで活動する屋号にしました。 実際の予定よりも早くフリーのフォトグラファーとして活動することになり、迎えた2006年は僕にとって大きな出来事が多い年でした。 フィギュアスケートとの出会いもこの年になります。 独立前の

          フリーランスは突然に。

          1つ目のスタジオを辞めてから、2つのバイトを掛け持ちしてお金を貯め、東京のスタジオマンとして修行の続きをと思っていました。 お金もある程度貯まり、そろそろ東京に出ようかと考えはじめた2001年3月に、先輩アシスタントから連絡がきます。 「●●さんアシスタント探してるみたいだよ。人物の撮影も多いし、1回会ってもらったら?」 最初のスタジオの先輩から突然連絡がきた。 その方は仙台でもよく目にする広告を撮っていたり、モデルやタレントを撮る現場も結構あるという。 その当時の僕は東

          フリーランスは突然に。

          最初の月給3万円

          99年の5月末からスタジオのアシスタントとして、カメラマンになるための修行をはじめました。 今思うと恥ずかしいですが、知識も経験もないのに、当時の僕は「絶対に自分はカメラマンになれる」と根拠のない自信だけはありました。 しかし現実は...(苦笑) 広告の世界は、華やかで派手なイメージを持っていたが、実際の現場は地味な作業の積み重ね。前日の準備からはじまり、現場でのセッティングなどすべてを計算した上で撮影されてる職人の世界なんだと知った。 失敗が許されないからこそ、現場は常に

          最初の月給3万円

          Fire-King

          このnoteを始めるにあたり、フリーランスになった当初のデータを見返してみました。 2005年12月に独立後、翌年の春に事務所を借りるまで自宅が事務所を兼ねていました。 そんな自宅の中で撮影した当時集めていたFire-Kingのマグカップです。 左側にある窓から柔らかい光が差込んでるイメージで照明を組んでます。 PENTAX67(マクロ100mmF4|f4, 1/125, ISO 160) 2005.12

          惨敗に終わった就職活動

          就職のことを意識し始めた大学3年のとき、当時マスコミ学科に通っていた高校の友人と連絡をとったことがきっかけで、僕はフォトグラファーになりました。(笑) その友人との会話がきっかけで、初めてマスコミという業界に興味を持ち、印象に残っていたテレビCMを思い出した。 当時から「普通のサラリーマンは向いてない」と思っていた僕は、CMを作る仕事に携わりたいと広告業界を目指した。 印象に残っていたCMがこちら。 当時はモノクロの映像と小田和正さんの歌が印象的で、会話もないのにグッとく

          惨敗に終わった就職活動

          noteはじめます

          フォトグラファーの能登直です。 「のとすなお」と読みます。 なんの知識もないまま写真の世界に入って、21年目の春が過ぎようとしてます。 1日のほとんどを自宅で過ごしている今だからこそ、色々と文章をつづってみるのもいいのかなと。 僕自身も楽しみながら「文章を書いて、伝える」ということをはじめます。 まずは簡単な自己紹介を。 プロフィール1976年生まれ。宮城県仙台市出身・東京都在住。 仙台で広告カメラマンのアシスタントを経て、2005年に独立。 2017年拠点を都内に