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2007年仙台に住んでいた縁。

タイトルのことについて、たまに考えることがあります。
本当にいろいろな巡り合わせがあって、今の自分があるな〜と。
そして2007年は運に恵まれた年であったことは間違いないと思っています。


イタリア合宿の撮影から帰国後、書店に並ぶフィギュアの本を見てみた。載ってる写真を見た印象は「どの写真もカタログみたいに全身全部入ってるんだな」

これが基本の撮り方なのかと思いつつ、同じ撮り方をしてもフィギュアの仕事を新規で受けるのは無理だろうと考えた。
全身を手足切れないようには撮りつつ、もっとそのスケーターの表現や人間味みたいなものを切り取るように撮ってみたいと考えた。

機材を新たに追加してから初めて撮影したのが「フレンズ・オン・アイス2007」だった。ズームレンズではない、単焦点の300mmという使ったことのない望遠レンズの扱いに戸惑いながらも、何枚か意図してた写真が撮れた。

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本格的にフィギュアシーズンが始まる前に発売された雑誌に、小さい扱いではあったが上の写真が掲載された。
「全身綺麗に写ってなくても使ってもらえる!!」

この方向性にプラスして、普段の広告撮影で培ってきたものを活かせれば仕事につなげていけるのではと思いました。
特にポートレート写真をきっかけに食い込んで、競技を撮りたいと考えました。
下の真央ちゃんと大ちゃんの写真はイタリア合宿で撮影し、実際に誌面に掲載されたものです。

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そして、今日のタイトル。
「2007年仙台に住んでいた縁」

この年の秋、全日本ジュニアとNHK杯というフィギュアスケートの大会が仙台市で開催された。
もし全日本ジュニアが他の都市での開催だったら、交通費も出ないという状況では、当時の僕は撮影に行っていたか微妙だ。おそらくこの当時ジュニアの大会があることまでは気が回ってなかったと思う。

この2つの競技会が仙台開催だったことは僕にとって幸運だった。

無事取材申請が通り、初めての競技会の撮影を地元の仙台で経験できた。
競技会独特の緊張感を自分も感じながら、仙台のローカルニュースで見たことのある少年を初めて撮影した。
聞くと、このジュニアより1つ下のカテゴリーからの参加。フィギュアのことは何もわからなかったが、(今もあまりよくわかってませんが...)シャッターを押した回数は多かった。

終わってみると、その少年は3位。
表彰式を待つ間、少年の隣に立つお父さんに思わず声をかけた。名字を見て自分の中学時代を思い出したのだ。
思いがけない場所で先生との再会。
こうして、地元仙台の大会で初めて結弦くんを撮影した。

このときは先生の息子さんだし、同郷のスケーターとして、撮れるタイミングで撮影していこうと思いました。
今となっては、ここでの出会いがなければ始まってなかったので、「ありがたい不思議な縁だな」とひたすら感謝です。

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この全日本ジュニアの翌週、NHK杯が開催された。ジュニアとは違う競技レベルの高さや迫力を感じた。また、海外スケーターと競う日本人スケーターを撮って、世界選手権も撮りたいと欲が出た。
年末の全日本を撮影して、更にこの気持ちは強くなり、2008年3月スウェーデンに向かうことになる。

こうして、フィギュアスケートにどハマりしつつ、フリーランス3年目を迎えます。
仙台の業界では、「なんで赤字出してまでそんなの撮りに行ってるの?」なんて声も聞こえてきたりしました。
それでも”ライフワークとして撮っていけるものを見つけた!!" という思いの方が大きく、お金が続く限り、スケジュールが許す限り広告撮影と並行してフィギュアスケートは撮り続けたいと思いました。

ここからあとは、自分の中の想いや、エピソードなんかがありすぎて、どうまとめていくか正直悩ましいです...。そして、改めて簡潔に伝える文章を書く難しさを痛感してます。
明日以降も引き続きおつきあいいただけたら嬉しいです。



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