フリーランス2年目、2足のわらじに。
2005年12月にフリーランスになってからあっという間に1年が経った気がします。
順調に仕事も増え、2年目が始まりました。
2007年7月にはイタリアで行われた、フィギュアスケート日本代表チームの合宿に同行して撮影という、願ってもない話しが舞い込んできます。
2006年も後半になると、念願だった人物撮影の割合が増えた。
ただ仙台では、仕事をえり好みすることなく、あらゆるものを撮影できないと食べていけない。
仙台は東京に比べて圧倒的に撮影の案件数も、予算のボリュームも少ない。
地方の都市では、少ない広告案件をいかに受注していけるかで、全てが変わってくると言っても過言ではない。
それでも、ウエディングドレスのカタログ・美容室のポスターなどの広告を、同年代のデザイナー・ヘアメイク・スタイリストと一緒に作る機会が多くなった。お互いにアイディアを出し合いながら、作り上げ、クライアントの役に立てることが嬉しかった。
そして、07年初めに念願の仕事が回ってきた。
「仙台フォーラス」の広告。
このファッションビルのポスターを撮ることを、独立前から目標の一つにしていた。リニューアルオープンに合わせての大きな広告キャンペーンで、当時の僕にとっても最大の広告撮影だった。
この年、これ以上に僕に影響を与えたのが、7月のイタリアでの撮影。
「フィギュアスケートの日本代表チームがイタリアで7月に1週間トレーニング合宿をします。これに同行して撮影しませんか?」
と連絡がきた。
仙台でカメラマンをしていて、海外に仕事で行けることはこの先ないだろうと思った。しかも念願のスケーターを撮れるという。これは受けるしかないと盛り上がった。
ただここで問題が1つだけあった。
「スポーツを撮れる機材がない!!」(そして、1つ1つが高い...)
このチャンスを逃したら、この先フィギュアスケートを撮れる機会もないだろうと腹をくくり、最低限フィギュアスケートを撮るために必要なカメラとレンズを買い足した。(EOS-1D MarkIIN・EF28-300mm F3.5-5.6L IS USM)
イタリアに向かう前にアイスショーを撮る機会をもらえた。少しでも慣れようと懸命に撮ったが、まったく思うように撮れなかった。(あとで知ることになりますが、スポーツ、とりわけフィギュアスケートを撮るには明るい単焦点のレンズの方がいいです。特に初心者には。)
ちょっと不安を抱えたままにはなったが、いざイタリアでの撮影に向かった。
このとき30歳で、今ほど時差ボケがひどくなかったです。歳をとるごとに時差ボケひどくなってます...
到着の翌日、今までテレビで見ていたフィギュアスケーターたちと対面した。
激しいスポーツというイメージがなかったため、練習のハードさに面食らった。
氷の上でも、陸上トレーニングでもみんなストイックだった。
転んでも転んでも、飛べるまでジャンプの練習をする姿が印象的だった。
はじめから警戒心を持たれることなく、写真を撮る人として受け入れてもらえたことも嬉しかった。
オフの瞬間も含めてシャッターを押すたびに、このスケーターたちを追い続けてみたいと心から思った。
帰国後、本格的にフィギュアスケートを撮影していけるように新たにカメラとレンズを買い足すことになります。
購入したのがEOS-1D Mark III 2台 と中古の EF300mm F2.8L IS USM。
合わせて約140万円。
本当は EF400mm F2.8L IS USM が欲しかったのですが、このときは高すぎて諦めました。これでもちょっと予算オーバーで、融資を受けて購入しました。
こうして、フィギュアスケートの魅力にどっぷりハマっていく。
僕は広告撮影とフィギュアスケート撮影の2足のわらじをはくことになった。
このあと、10月に仙台で開催された全日本ジュニアの表彰式で、結弦くんと初めて言葉を交わすことになります。
ただ当時は今ほどフィギュア人気もなく、撮った写真が掲載されてもギャラはわずかで、交通費も出ませんでした。07年の秋から本格的にフィギュアを撮りはじめ、広告撮影で稼いだお金で、フィギュア撮影で出る赤字を補填していく生活がはじまっていきます。
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