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小説「真実の箱」



「なにしてんの?」

妻が電子レンジの中を覗いている。
何をしているのかは分かるが、俺は敢えて問いかける。
「なにしてんの?」
「健ちゃんをねぇ…探してるの…」と妻は言う。
「俺は、ここにいるよ。」って言ったらば、妻は俺の顔じ〜っと見つめ、それからぽかんとして首傾げた。
そして、妻がまた家の中をあちらこちら歩き回る。食器棚の中開けたり、コップをひっくり返したり。そんなとこ探しても、俺はいる訳ないんだが…。
「なにしてんの?」
「健ちゃん…探してるの…」
「俺はここにいるよ。」
いつもこうだ。俺の妻はボケ老人だから分かってない。面白いでしょう?俺はお前のすぐ側にいるのにな…。
そんな訳で、俺は仕事辞め、妻の介護を始めた。
ある程度の貯金あった。後は国が金をくれる。在宅介護の補助金等の助成金があるのだ。
ちなみに何故介護が必要か、知ってるいるだろうか?分からないだろう?よく認知症のテストで「3日前の夜ご飯何ですか〜?」と医者が聞くのは想像がつくだろうが…あんなものではない。
食べることすら忘れる。 箸の持ち方分からなくなる。ご飯を見てもそれが何か分からない。空腹を感じなくなる。食べるということすら忘れる。 喉乾いたもそう。トイレや着替え…全部を忘れる。だから、介護が必要なのだ。
俺が妻の介護をしてから、初めて知った事は多くある。
介護食もその1つだ。生後間もない赤ん坊に離乳食があるように、認知症の高齢者の為の食事だ。簡単に言えば。
見た目や食感はというと、離乳食と同様、物凄くどろっとしている。食べるという事を忘れているのだから、当然飲み込む事すら忘れている。歯茎や舌で潰せる程やわらかくなっているのも当然だ。
俺は介護食を作れる。今時自炊できる男は不思議ではないだろう。たが、介護食を作れるという男なんて奇妙なものだろう。
まあ自分で調べたのだが。俺も自炊は別にできた。
金はそんなにかからない。そもそも介護食だろうが普通の飯だろうが3万もいらない。月1万で十分だ。まわりがおかしい。退院した川島が冷凍食品やマックを食べて金が無いとは言っているが、自炊の方が断然良い。金がかからない。何より健康に良い。外食をして金が無いなど馬鹿だ。馬鹿。
俺とて外食に行かない訳ではないが、しょっちゅうは行かない。
さておき、とりあえず俺は、妻に付きっきりだった。
ある日、妻が入院した。年取ると免疫の機能などが低下する。それのみならず認知症の影響で、身体が忘れていく。身体のあらゆる機能も動かなくなるのだ。 暫く検査ある。時間かかるから御自宅でお待ちください。そう病院側に強く言われた。俺は家に帰った。大丈夫だろうと。しかし1週間くらい経っても、病院から連絡こなかった。
「あれ、おかしいな?」俺は病院に、電話かけた。お見舞い行きたいと。だが病院側から返ってきたのは「出来ません」の一言。
驚いた。意味が分からない。 とりあえず理由を聞いたが、どうやら私が妻に虐待をしていると、役所から報告がきているとの事。
言葉が出ない。非常に憤懣やるかたない。
俺は仕事辞めて。制度や介護の事など色んな事を自分で調べた。そして妻を献身的に介護をしてきた。虐待?巫山戯るな。言っていい事と悪い事あるだろうと。そんな言い掛かりをされて、当然怒りを抑えられる訳がなく、電話口の看護師だかと話をしていたが「そーゆうところじゃないですか?」と言われた。話にならないから電話を切った。
とりあえず寝た。寝た。 次の日。どうしようものかと。 もう働く気もない。だが金はある…。俺は酒を飲み始めた。
ずっと、ずっと酒を飲んだ。ぶっ倒れて、意識が飛んだ。ぼんやりと目覚めてきたら、また飲む。その繰り返し。 ある日、酒買いに行った途中かなにかに、俺は倒れていたらしい。俺は覚えてない。 それを警察が見つけて、救急通報し病院連れてかされた。その警察もついてきたようだ。薬物か何かをやっているのではないかと。 ただのアル中なのだが。これ全部、後から主治医に聞かされた話だ。
そして、私は今ここにいる。
アルコール中毒が原因で。
俺は最初ここ来た時に車椅子に乗っていた。今は普通に歩いているが…。アルコール摂取し過ぎると、脳が麻痺する。脳が麻痺すると身体動かせなる。身体動かす命令を脳が出せない。俺は足が動かなくなった。本間も彼奴、歩き方おかしいだろう?右脚を引きずって。彼奴もアル中。だから俺と同じ。
俺は元々東病棟にいた。東からこっちの西病棟に来た。その時俺は吃驚した。西病棟では歩行訓練がないのだと。また西病棟の壁や床の清潔感にも驚いた。なんせ東病棟はとてもうんこ臭い。ボケ老人が多い。自分で自分の事は何も出来ない。排便や排尿すらままならない。それに西病棟では風呂は自分で入る。だが東病棟では風呂入る時、看護師の介助がつく。歩けない奴も多い。その為、病棟の廊下を行ったり来たりしている。医者と看護師がジジイと一緒にそこら辺延々と徘徊している。終わったらまた次。はい次と。 今、俺は歩ける。俺の姿を見て、元々車椅子乗っていたとは思わないだろう…。それと同じように東と西でこんなに違うものかと、吃驚したのだ。
それにしても…ここはおかしい。患者も看護師も。 俺は早く退院したい。俺は妻に会いたい。それだけだ。 だが退院には、主治医とケースワーカーの許可と、役所の許可も必要。主治医とケースワーカーは許可を出していた。ただし俺は、役所と仲悪い。
俺が虐待したと馬鹿げた事を言い、妻と俺を引き剥がしたのだ。仲良い訳ないだろう。 俺はもう入院して6年経つ。おかしい。いくら精神科とは言え、こんなに入院期間が長いなんて異常だ。アルコール中毒で精神科に6年間も入院だなんて聞いた事ない。
俺と病院と役所でカンファレンスが行われると事になった。たが…俺は即答した。「嫌です」と。俺が役所の連中に会ったら誰だろうと、顔を見ただけでぶん殴るかもしれない。 そしたら病院の主治医や看護師達が、その時は我々が抑えますと。とりあえず役所と話をしないと先に話が進まないと。 そういうものだからカンファレンスに応じたが、結果は言わずもがな。俺が未だにここにいる。カンファレンスが始まって早々、俺は最初に謝れと言った。役所の連中に。俺が妻に虐待をしたと事実に反する主張をし、妻と俺を引き剥がしたこと。 するとアイツらは「我々は当時の事は何も知りません。」と言った。もう話し合いは中断だ。俺はいてもたってもいられなかった。「その時担当じゃない?そんな事知った事か。巫山戯るな。お前ら全員帰れ!」
その後、俺は外出行ったか。
元々この病院は準閉鎖病棟だった。だが今は新型コロナウイルスの流行で完全閉鎖病棟になってしまった。前は自由に外出ができた。よくフジスーパーへ行き、酒飲んでは捨てて帰ってきていた。病院に戻った時の荷物検査で毎回、レシートはゴミと一緒に捨てたと伝えていた。勿論俺の主治医は酒を飲んでいる事に気付いているだろう。だが診察があった時に、主治医から何も言われる事やその話題になる事すらなかった。俺の事を分かってるんだ。主治医は。
だが今では酒も隠れて飲めない。愚か、今は外にすら出れない。
病院から出るのも、カンファレンスも駄目。病院は感染対策として、外部から誰も入れないというのだ。
役所には金をくれとだけ頼んでいる。俺は今、生活保護を受給しながら入院をしている。だが、もうひっそりと暮らしたい。ゆっくりさせてほしい。退院した後も生活保護を受給する。時折ハローワークにでも行き、求人票でも眺め、合う仕事はありませんでしたと署名だけして帰る。そして収入申告際には全て0と記載し、裏面に収入が無い理由として求職活動中と書いておく。別に間違いではない。そしてそのまま、役所は黙って俺に金よこせ。
妻はもう死んでいる。
何故かは分かんない。いつ死んだのかも分からない。ある日の診察で、突然主治医から聞かされた。役所なんも言わないのか。今更そんな事どうでもいい。 コロナ禍ではあるが特例措置として、俺が妻に会いに行ってもよいと、病院側が許可を出してくれた。
主治医に教えてもらった納骨堂行った。場所を案内された。壁一面に引き出しがびっしり敷き詰められている。その中から「こちらです」と言われたところを引き出すと、骨壷があった。開けて良いとの事だったので、俺は中を覗いてみた。
「これかぁ…」
久々に妻の姿を見た。何をしているのかは分かるが、俺は敢えて問いかける。
「何してんの?」
「俺はここにいるよ。」
これが俺の妻か…。
唐突に「俺は何しているのか?」と思った。
何故妻がここにいるのか?何故俺は入院しているのか?
何が本当で、どれが嘘なのか?自分が一体何者なのか?分からなくなってきた。でも、とりあえず俺しか知らない。俺が見てきた事、感じてきた事。俺の全てと共に、今ここにある、真実に蓋をした。

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