ずっと感じていた言いようのない寂しさ

今回は『寂しさ』の正体について 今の自分が感じることを書いていこうと思います。

寂しさって 人によって感じた方は様々でしょうが 自分の場合は誰といても 何をしていても どこにいても なんとなく 『コレじゃない』という感覚がずっとありました。

自分の中に何か欠けた部分のように感じる場所があって そこが埋まっていないような感覚です。

そういった感覚は誰にもあるのかも知れませんが 僕はずっと氣になっていました。あるときは有名なアーティストがインタビューで「そういう孤独感や寂しさというのはずっとある」と答えていて そういうものかと一旦は納得した時期もありました。

が 今朝いつもよりゆっくり起きて ヨガをして 瞑想しているときに ふと自分が感じる『寂しさ』はあらゆる存在との繋がりが感じられなくなっていることが原因じゃないのか?と思いました。

この繋がりというのは人とのフィジカルな繋がりではなく どちらかというと見えない世界に属する話です。見えないけれど 僕たちの 僕の世界に大きな影響を与えているモノです。僕たちが意識していないときでも 太陽の光は地上を温め照らしていますし 風が吹いてエネルギーを与えていますし 地面は僕らの身体を支えています。

ケルマデックさんの本を読み直して知りましたが 地球の温度は数度変わるだけで地球の植物が燃え始めたり 鳥たちの飛ぶエネルギーがなくなり 飛べなくなってしまうようです。

また身体の内側では心臓が常に鼓動をうっていて 血液が流れています。この存在たちは見えないところで常に働いていますが 僕たちに感謝を求めてきません。働いているから『代わりに何かを寄越せ』などとは言いません。

これが『無条件の愛』かも知れないと僕は思いました。別に見返りなどなくても 常に与え続けている。僕はそういうエネルギーをずっと受け取っていたのだなと思いました。

ここで だから感謝を忘れないようにしよう。

そういう教訓めいた話にはしたくありません。

それを言うと嘘だと感じるからです。

そうではなく無条件の愛(と感じるエネルギー)はこちらが感謝しても しなくても ずっと僕たちを通して流れ続けている。そこに氣がつけばいいのだと思います。感謝したければすればいいし したくなければしなくても良い。ただ いつも僕たちを包むようなエネルギーが 僕たちに流れているのだと感じました。

そして その全ての中に流れているエネルギーは 僕たちと自然で別々に流れているのではなく 大きな環の中で巡っているのだと感じます。

そういったことを思い出すにつれ 寂しさが減ってきたことに氣づきました。

「あれ?まえより寂しくないな」そんな感じです。

僕が思うのは僕たちは自然との繋がりをあまりに忘れすぎたのかも知れないということです。自然を大切にしようと言うことではなく『僕たちも自然の一部であり全体をなしている』ということです。

人間も自然の部分であり全体の重要な役割を果たしている。そのことを忘れていることが言いようのない寂しさに繋がっているのではないか。そんなことを思いました。

バシャールが影響力というテーマの中で「もう貴方には必要なだけの影響力が100%があります」というシーンがあります。それは僕たちが宇宙全体の歯車の一部であり その歯車である僕たちが想うこと 考えること 感じること 行うこと それは宇宙全体に凄まじい影響を及ぼすということです。

つまり僕たちは宇宙全体から影響を受け また影響を与えているということです。

そういった繋がりについて意識を向けていくにつれ 僕はなんだか地球のみんなが兄弟(姉妹)のような家族のようなそんな氣もちになる瞬間がありました。

これはイメージの中でアーシングしていたときにも感じました。裸足になり木に触れることで地球と繋がり 自分の中のネガティブな側面が浄化されていく。樹木(地球)にはそういった人間を浄化する力があるみたいです。

木々を通して地球全体と繋がり 人間のネガティブな思い込みが浄化されるなら地球は宇宙全体と繋がり 宇宙規模の浄化を行ってくれているのではなか?そんなことを思いました。

そう想うと僕は木を通して 地球と繋がり 地球を通して宇宙全体と繋がっている。そんなことを感じました。そう想うと自分を通して 大きな大きな愛情がつねに流れているのだ。そう思ったのです。

そうしたら泣けてきて仕方がありませんでした。

ないと思っていた『無条件の愛』はずっと氣づかず自分に流れていたのだと感じたからです。

このことを感じたからと言って めちゃくちゃ日常が想うように激変した!とかはないですが 不安を感じたときなど 折に触れて 自分と地球や宇宙 植物や動物たち 自分の内側で動いてる内蔵や血液たち そういった存在との繋がりを感じる機会が増えました。

そうするとすごく安心するのです笑。

これ以上 書こうとすると濁ってしまいそうなので 今回はここで留めておこうと思います。

ひとつ言えるのは『言いようのない寂しさ』があるからこそ 僕はそのことを探求して この記事を書けたのだと思います。

追記

この記事のタグをつけているときに氣づいたのですが 僕はずっと故郷を探していたのだと思います。それは魂の故郷と呼べるようなものなのかも知れません。僕は寂しくなるたびにそこへ還りたいと思っていました。

言い方を変えると『死にたい』ってことです。

何度もそう思ってきました。どこかへ還りたい。そう思っていたのですが そのどこかは死後の世界にあって 死んでからでないと行けない場所なのだと思っていました。

最近になって それがようやく死後になって行ける場所ではなく 今この瞬間にも存在していて 今この瞬間にも感じることの出来る世界なのだということが感じられるようになってきました。

めっちゃ遠いと思っていたのに「あれ?めっちゃ身近にあったの!?」

という感じです笑

それが感じられ始めてきたから 安心感が増えてきたのかも知れません。

書き終わったあと このことも書いておこうと思って 追記しました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?