【仕事と趣味の差別】5 おわりに

 これまで述べてきた見解を導き出すにあたって、いくつかの条件を仮定した。第2節の各項冒頭にまとめたものだが、たとえば「太古の時代に戦争が頻繁に行われた」などのように、それらはごく自然と思われるものだけである。

 また、人間の心理についても、ある傾向を仮定している。これまでの論理展開では明示しなかったが、あえて整理すれば次の通りである。

①競争心
他人と張り合おうとする傾向。

②勤労本能
目的の達成のために努力しようとし、無駄な努力を避けようとする傾向。

 これらの心理的傾向は、どんな人でも多かれ少なかれもっているし、古代人はもっていなかったと仮定するほうが不自然であろう。このような傾向は、通常有益なものだと見なされることが多い。人間がこのような傾向をもっているからこそ、科学技術は進歩し、経済も成長する。人間社会にとってきわめて有益なものである。しかし同時に負の作用ももたらす。競争心は差別を拡大する方向に作用する。競争心によって、ひとたび人間の思考や行動が他人との差別を拡大する方向に向かってしまうと、勤労本能がそれを促進する。具体的には、礼儀作法を洗練させ、それを身に付けていない人間を差別したりするようになる。2-3でAIも偏見をもつようになることに触れたが、AIに競争心と勤労本能を組み込んでシミュレーションを行えば、自律的に差別的なものの見方を洗練させてゆくであろう。

 要するに仕事と趣味の差別は、一定の条件さえそろえば、どんな社会にも必ず発生するものである。だからといって、放置して良いとか、「存在するものはすべて良い」という結論を出すのは短絡的である。

 差別は腐敗に似ている。良く知られているように、腐敗は発酵と本質的には同じである。いずれも微生物が物質を変化させる現象であり、一定の条件がそろえば必ず起こる。人間にとって不都合な変化が腐敗と呼ばれ、有益な変化が発酵と呼ばれているに過ぎない。いわば、差別とは価値観の腐敗である。「芸能人格付けチェック」で芸能人が小馬鹿にされるくらいは、罪のない発酵と言っても良かろう。

 もし自分が差別の視線を向けられたとき、あるいは自分が誰かや何かに差別の視線を向けそうになった時、その本質が何なのか、反省してみると良い。また、人生の大切な決断において差別的な既成概念が邪魔をするとき、あるいは判断に重要な影響を及ぼしてくるとき、その概念が本当に重んじるに値するかどうか、深く考えなければならない。教養の効用は価値観を相対化できることである。すなわち、当たり前だと思っているものが実は当たり前ではなく、それ以外のあり方が可能だと想像できることにある。

『仕事と趣味の差別』おわり

仕事と趣味の差別(目次)


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