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あえてメタ認知を外す

正しくはメタ認知を外すというか、プライドをなくすというか…
ブレーキを効かなくしたい。

他人が理不尽や意味不明なことを言い出すと
哀れむような感情が沸き起こる。
「ああ、支離滅裂で意味わかんないなぁ」
「自分でも言っている意味わかっていないんだろうなあ」
とか。

それだけで留まれば、まだ良いのだが、
自分が“もしかしたら”間違っていることや理不尽なことを
言いそうになる、言っている瞬間に出くわすと、
自分で自分のことを
「ああ、支離滅裂で意味わかんないなぁ」
「自分でも言っている意味わかっていないんだろうなあ」
とメタ認知的に言いたくなってしまう。
というか、脳内で言ってしまっている。

最悪だった時は
あれは20年以上前の話。
当時の彼女と初めてチョメチョメしようとした時のこと。
初めてそんな雰囲気になったので、どうしたらよいのかわからず
とりあえずAVみたいなセリフや自分の思うがままのセリフを吐いた瞬間、
自分から幽体離脱したような、その空間を俯瞰視した感覚に襲われた。
そして自分のあまりの気持ち悪さに辟易してしまったことがあった。
それ以来、○俗や初対面の女性に対して
バカなことができなくなってしまった。

ようは、いらないメタ認知のせいで
自分がどんな振る舞いをすると他人から見て
滑稽か、という視点が強くなってしまい
自分のやりたいことができなくなり、言いたいことが言えなくなってしまっている。

これを「プライドが高い」という言葉に置き換えることができるかもしれない。
自分の行動が他人から見てどうなるのか、
他人が見たところで、どんな感情を持つかなんて
私にはわからないのに
なぜかそこが猛烈に恥ずかしく思えてしまうのだ。
だから、振り切った行動や大胆な行動が取りづらい。
ここにも、父親からもらった
「自分がされて嫌なことを他人にするな」
という呪いが発動してしまっているのだろう。
この休職でいろんなことがパチっとハマっていくな。。
いままでは
「なんでこんな感情になるんだろう?」と疑問に思っていたが、
この休職期間で自分と対峙する時間が増えたことで
その理解が深まったことで、見えてきた結果だろう。

メタ認知<興奮
という状態になれば、そんなもの吹っ飛ばして
やりたいこと、言いたいことを言えるのだが
そんな状況は稀である。

つまり、自分で自分の行動を“恥ずかしい”という感情で
制限してしまっているのである。
間違えたらダメ!という謎の審査員が私の脳内にいて、間違っている“かも”という言葉すら言えなくなっている。

今回の休職を通じて
自分の生き方や行動指針を振り返って、
今度の私がなりたいのは
「鈍感でヘラヘラした人間」としている。
そこには、このメタ認知が不要だと考えている。
いちいちそんなメタ認知を気にしていたら
鈍感にもなれないし、ヘラヘラもできないだろう。
恥ずかしくてもいいじゃないか、間違ってて恥かいて後ろ指刺されてももいいじゃないか!
と胸を張って言える人間になりたい。

一般的にメタ認知を持った方が良いとされているが、
それが効きすぎている人間には生きづらさしか残らない。
わけてあげたいものだ。

以前通っていたカウンセリングで
こんなことを言われた。

真面目な綾小路さんが不真面目、鈍感になりたいと思って行動しても、
無意識下で制御してしまって、10/10の不真面目を目指しても
どうせ4/10にしかならないんだから、思っている以上に不真面目を目指すくらいがちょうどいいくらいだよ。

1回8,000円のたっかいカウンセラー

なるほどなぁと感動したことを思い出した。

いらない自分へのメタ認知を効かせて
他人を気にするおもしろくない人生よりも、
そんなメタ認知をオフにして
バカやる人生の方がおもろしろいよ。

と言い聞かせる休職期間にしたい。

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