やっぱりシェアカーじゃ萌えない

俺は昔、車が好きだった。
かと言って、今、全く興味が無くなったわけではないが、しかし昔に比べたら無くなった。
昔はお金があったから好き勝手に車を買い替えていたけれども、今はお金がないからシェアカーで間に合わせている。
シェアカーは便利だし安くていい。
レンタカーの様に対面での手続きも必要なく、サクッと乗れるところが俺には合っている。
でも最近、つまらない。
何がつまらないって、車自体がつまらないんだ。
それは自分の興味のある車じゃないから。
それに自分の車じゃないから。
自分が好きで買って所有している車じゃないから、愛着も湧かないし、愛着が湧かないからつまらなくなってきた。
お金が無くなってから車を所有出来なくなったわけだが、でも無かったら無かったで「あれ?別に車なくても平気じゃね?」となって、それがそのまま興味の薄らぎに繋がって、やがては「所有しないでシェアカーの方がよくね?」という、コスパ主義に考えを変換してしまった。
しかし買うよりシェアカーの方が安くて合理的だという考えになってから、何だか虚しくつまらない。
昨今では物を所有することはリスクであるとかコスパが悪いとか、合理的な見方ばかりが取り沙汰されている気がするが、もちろんその論調もわかる。
しかし一方では「なんかつまんねぇなぁ。」という気持ちがあるのも事実である。
物事は合理的ばかりで解決できるものでもない。
無駄な物でも手元にあると安心したり、愛着が湧いたり、大事にしようと温かい気持ちになったりと、千変万化する。
例えば俺には大好きなセーターがある。
フランスのランセルというブランドのセーターなのだが、これがまたダサい。
刺繍のデザインが、一般的に見たらダサい。
レトロな柄と言えばそうかもしれないし、聞こえはいいが、しかしほとんどの人は「うわっ、ださっ。」と思うだろう。(ランセルの名誉の為、写真は載せない)
しかし俺はその野暮ったさが好きでそのセーターを買った。
その野暮ったさに味を感じたのだ。
味のあるセーター。
まだ買って数年しか経っていないが、恐らくこれから先も所有し続けて、冬は必ず着ると思う。
今思ったが、所有は「お付き合い」に似ていると思う。
別に人を所有するという意味ではない。
相手をどんどん深く知って愛着が湧く。
それは先程のセーターの様なもので、これから何十年先も愛着を持ち続けるかもしれない。(かもしれない←という仮定の言い方は、別れるかもしれないからということで)
ちなみに今、俺が興味ある車はシトロエンのC6という10年くらい前の車。
これもまたデザインは一般的に見たら微妙。
リアのデザインが独特なので、好き嫌いが別れる。
しかし俺はその野暮ったい様な、しかしそれでいて洗練されている様な、何だか妙な味が気に入った。
それにリビングの様な落ち着いたシンプルな内装。
それが気に入ったんだ。
最近、車を買おうかと思っている。
俺には車は単なる移動手段じゃない。
リビングの様なゆったり寛げる車。
そんな車でドライブしたい。
そんな環境だと考え事も楽しくなる。
所有の意味、今一度、考え直したい。

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ごめんなさいね〜サポートなんかしていただいちゃって〜。恐縮だわぁ〜。