ハザードランプを期待しない

車に道を譲ると、相手はお礼の合図としてハザードランプを点灯させてくれます。
渋滞の中、間に入れてあげると、同じくハザードを点灯させてお礼をしてくれます。
実に嬉しいことです。
心がほっこりします。
そんな殺伐とした渋滞の中にも、人の温もりは残っているのだなぁと、爽やかな気持ちになります。
しかし中にはハザードランプを点灯させない人もいます。
人はそれにちょっとばかりムッとします。
それは普段はハザードランプでお礼をされているのに、なぜお前はしないのだと不満に思うからです。
自分の善意が相手に認められていないような気がして、またそれがこちらに対する敬意を欠いているとして、一人身悶えるのです。
でもお礼にハザードランプを点灯させるなどというお約束はどこにもございません。
あれは相手の善意であって、義務ではないのです。
でも人はハザードランプを点灯してもらえることに慣れていますから、点灯しない方がおかしいとさえ思うようになります。
昔はそんなことをしなくても誰も何とも思わなかったのに、今ではお礼をしない方がどうかしている、そんな偏狭な風潮が蔓延しているように思えてなりません。
人は施しを受けるともっと欲しがります。
今までと同じ施しでは満足できないどころか、それに反発して文句さえつけてくる始末です。
「こっちは譲ってやったんだ!お礼のひとつぐらいしろ!」と。
私はハザードランプがなくてもそれが普通と思うようにしました。
無いことが当然なのです。
金持ちになったらなかなか生活水準を下げられないと言いますが、あれと同じ理屈です。
人は一旦味わった甘い蜜をいつまでも忘れることができません。
今まで散々ハザードランプでお礼をされていたのに、今更「そのご褒美はなしよ」なんてことは、到底受け入れがたいのです。
もうこうなったら常時ハザードランプを点けておくべきです。
走っていようが止まっていようが、いつでもどこでもお構いなしに点けておくのです。
そうすればお礼がどうのこうのだなんて、文句をつけてくる輩はいなくなることでしょう。
え?ハザードランプをつけっぱなしじゃ、駐車しているのか何なのかわからない?
ああ言えばこう言う...
全くどいつもこいつも自分勝手なうるせー野郎ばかりです。

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ごめんなさいね〜サポートなんかしていただいちゃって〜。恐縮だわぁ〜。