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解かれて泳ぎをみせたマンボー、 それでも自分の日常は変わらない。けど非日常を生きている

ラジオ出演が終わりちょっと今日は遠回りして帰ろうと繁華街を歩く。
秋元康が作詞した曲のとおり人は帰り道は遠回り したくなるものだ。
蔓延防止が解除されキャッチも出てきた。
仕事帰りのサラリーマンや若いグループ、カップルもしくはそう綺麗事のように見えて実はまた別の関係を持つペアもいるであろう人々で賑わっていた。

あんなに暗かった通りが店の明かりによって神々
しさを取り戻し息を吹き返したかのように至るところで声が響きわたる。少し日常が戻った。
蔓延防止が解除されたところでもまだ完全にコロナが終息したわけではないけれど、人々の日常が戻りつつあるのは良いことだ。経済も回るし、
人それぞれまた楽しみや生きがいが増える。

いつもの日常

じゃあ自分の日常も変わるのかという話しなのだけれどぶっちゃけ何も変わらない。
いつものように4:30か5:00早朝に起床し24時間営業のジムへ行きワークアウトをする。帰ってきて仕事柄やっているTwitter、instaglamなどSNSをチェックしてYouTubeを見て連絡の返信と報告をして
少し読書。
本来なら夜に落ち着いた時にやることをこの朝の時間にやってしまう。
それから練習に行き、夜もまた練習に行くことも。
それ以外にラジオなどお仕事をいただければ全然出るし、試合や練習以外でこういった活動もしている。試合や練習だけしていればいい。こういう時代ではもうないのかもしれないと最近ラジオに出演していてつくづく思う。

明かりと逆

桜も咲きはじめ今年も春がやってくる足音が、
その足音というか音ではない光による夜明けが
早くなった。早朝起きてジムへ行く道のりとジムの窓から見た外の景色はまだ真っ暗だったのに今は
明るい。
朝は日の出が早くなり夜は街が徐々に明かりを取り戻してきているのに何故だろう、
朝も夜もこの明るい景色とは裏腹に寂寥感を感じて仕方ない。何故か逆に寂しさに襲われる。
好きな季節で冬か夏かと言われれば夏なのだけれど.....
悪さをしているわけではない、地道に愚直に
しているだけなのに明るさで何かに見つかってしまったかのような感覚をも覚える。

変わらない日常だけど非日常を
生きてる

トレーニングして、練習して、試合して、メディアに出て、色んな活動もしてそれが自分の誇りを持った仕事であり自分の今の生き方。太嘉文を演じた
太嘉文の生き方だ。
今自分は人間としてだけでなくプロレスラーとして生きている。プロレスを職にしている。
自分にとっての日常はいつもの日常のようで
実は日常とは全く逆の非日常なのだ。
誰でもなれるわけではない選ばれた者だけの
非日常を生きている。
そんな非日常だからこそ喜怒哀楽だけでは
表現できないものがあって、
自分のように哀のほうが多くそこで折れる人も多い中、自分は折れることなくしぶとくいる。

さあ明日から3連戦。
みんなの日常の中で非日常を生きながら
毎日地道にコツコツこの生き方に誇りを持って。



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