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個性ってなんだと思う?

個性が求められがちな社会に生きている気がする。「自分らしく」とか「個性的である」ことを求められ、それらしい意見がないと没個性的とみなされる。


でも、個性ってなんだろう。
自分ってなんだろう。



たとえば、子供が学校の課題で、「どんな方法でも良いから自分らしさを表現してください」と言われたとしよう。

歌、絵、文。
それぞれの形で自分を表現する。

しかし、大声で歌いながら全裸で町中を走り回ったらどうだろう?
あまりにも極端な自論を展開したらどうだろう?

きっとその子は先生から怒られる。


これらは、我々に求められる「個性」ではない。

私たちに求められている「個性」とは、多数や社会規範から認められる範囲内での自己表現なのだ。


言い換えれば、私たちに求められているのは独自性ではない。むしろ逆で、いかに「標準」や「普通」を知っているか、そこからどう自分なりに意見を展開するかということだ。

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ここで「個性」の出現過程について考えてみるが、個性や自分というのは見つけ出すものや作り出すものではないと私は考える。
むしろ、全てのものを奪われてもどうしても消えない特性こそが「個性」であり自分なのだろうと思う。

だから、自分に個性がないと思い悩むのは間違いであると思うのだ。
社会を冷静に見渡してみると、あなたと同じ人間は一人もいないことに気がつくだろう。
むしろ、自分と違う肉体を持ち自分と何一つとして違う経験や思考回路を持つ人間と同じ空間に生きていることに驚愕する。


「個性」は生み出すものや探すものではなく、誰もが生まれ持っているものなのだ。


そうすると、本当に大事なのは独自性を探すことよりもいかに社会と調和し人の気持ちを考えられるかということなのかもしれない。
消そうとしても消えぬ違いを持った人間が同じ空間に生きるなら、共通点を探して調和せねばならぬ。


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この社会を生き抜くためには、時として個性的な大胆さも必要だが、それ以上に誰よりも「大衆」を理解して普通であることや器用であることが求められるのだろう。

だから、無理に個性を探そうとしなくていいと思う。無理に人と違うことをしなくても良い。

むしろ、人と同じ性質があることは素晴らしいことなんじゃないだろうか。
それをきっかけに仲間ができて、大切な人ができて、社会と関わることができて社会の一員になることができる。


時代ごとに求められるものと人間本来の性質の間に生じる数々の矛盾をいかに器用に扱えるかで、人生のあり方も大きく変わるのかもしれない。

そして、私たちは生まれながらにして異なる存在なのだから、「人と同じ」であることにむしろ喜びを感じて良いのではないだろうか。

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