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レディプレイヤーって映画、エグいね。(ネタバレなし)

みなさん、映画「レディ・プレイヤー1」を観たことあるだろうか。

監督は、あのスティーブン・スピルバーグ。
2018年に公開されたSFアドベンチャー作品だ。

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ざっくりあらすじを紹介する。
(知ってる人は読み飛ばしてね。)

舞台は、社会が荒廃した2045年。

希望のない現実世界から逃れるために、人間は「オアシス」というVR世界にハマり込む。

そこではなんでもあり。
アバターを使ってなりたい自分になるもよし、仲間を作るもよし、戦うもよし。

一方の現実世界では、オアシスに依存し重課金して破産したユーザーが、巨大企業IOIの運営する収容所で強制労働させられる事態にまで発展するという惨状。


そんなある日、「オアシス」の製作者からの遺言が発表される。

「オアシスの謎を3つ解いた者に、オアシスの全権限と僕の遺産を譲渡する」

そこで、現実ではパッとしない主人公ウェイドは、類稀なオタク知識を生かして謎を次々と攻略。
仲間もでき、同じくオアシスを奪還し悪用しようとするIOIと戦うことになる。。。。


戦闘、仲間との友情、絆、悪との戦い。
手に汗握るSFアクションアドベンチャー。


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ざっくり言うとこんな感じかな?

全体的にとても面白かったのだが、
ちょっと疑問がわいた。


現実から逃れるために仮想空間に行ったのに、みんななんでそこまでして戦うんだ!!!!

って疑問だ。

せっかく仮想現実に逃げ込めたのだから、ハワイの海辺でトロピカルジュースでも飲んでればいい。楽しいことだけしてればいい。

でも、彼らは戦いだした。

仲間をつくり、無理して悪と戦う。嬉しかったり悲しかったり、痛かったり辛かったり。

いろんな感情を味わう。

なんでわざわざ仮想空間で辛い思いしてんだろうと思ったが、ふと気がついた。

「実は、これこそ人間の求めることなんじゃないか????」

仲間がいて、他者のために命をかけて戦う。
敵がいて、守るものがある。

激情・戦う意味、これこそ人間が本能的に求めていることなのではないか。

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現実世界で感じる感情って、どんどん限られてきている気がする。
心躍る熱狂も、深い悲しみも。


心の底から湧き上がるような生の感情を体感できる機会はどんどん減ってきているのかもしれない。


平坦でいようと思えば、いくらでも平坦な気持ちで生きていける。
怪我をする前に、すでに安全な道や正解がそこにある。

しかし、人類の歴史を振り返ると、
人間って意外と残虐で争いや熱狂を好むのかもしれない。
戦争や公開処刑やコロッセウムなんかその最たる例だ。
ましてや、中世ヨーロッパでは処刑を見るという日常を逸脱した行為が庶民の楽しみだったともいう。
命をかけて戦い血を流すことも、もしや人間の深い部分にある願望なのだろうか。

我々は、毎秒生きているだけで、本能と理性の戦いにエネルギーをすり減らしているのかもしれない。
「好きなように生きる」など、幻想ではないだろうか。
激情のままに日々を生きていたら、社会との折り合いがつかない。

もしかしたら、これから時代が進めば進むほど、心の不幸な人は増えるのかもしれない。
本能に蓋をしすぎている。
心の底から湧き上がる高揚感を、命を削るような激情を味わう機会が少ない。
鬱病も、その最たる例かもしれない。

だからといって、人権のない時代に戻りたくない。


人類って、発展してるのか?
それとも衰退しているのかな?


みなさんはどう思いますか?

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