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自分にweekly me dayが必要だと気づいた話

「いつでも誘って!私いつでも暇なんで!(笑)」

という言葉が

苦手だ。

そんな言葉を

平気で言ってくる人が

そもそも苦手だ。

愚かだとすら感じる。

そもそも

なんで暇なのか

私は「暇」という言葉が苦手なんだと思う。
暇というのが、「何もすることがない時」という意味なのであれば、
私には一生、暇な時なんか来ないよ。

だって時間が空いたなら、
返信できていないSNSやメールを返す、
本や映画を観る(わたしはこのリストが、もう、とてもたくさんある)、
溜めてしまっていた〇〇を片付ける、
〇〇に思いや考えを巡らす、思索にふける、
今後の人生について考える。やりたかったことをする、行きたかった場所に行く、会いたい人に会う、には、どうすればいいか、考える。
などなど、できることがたくさんあるのでは。

なんか、暇って言う「暇」がそもそもあるなら、
もっとましなことをするのに時間を使えばいいのに。
例えば、私が誘うのを待つのではなく、あなたから誘って企画すれば。

ていうか、そもそも私が当たり前にあなたに時間を割くと思っているあたりが、そもそも苦手だ。
なんで。
その当たり前や自信や、無礼とすら認識されるあさはかな考えを晒せるのだろうか。

というのも、ここまで私が彼らに冷たく思うのは、
彼らのことがそもそも好きではないから。
遊ぶわけないじゃん。あなたと。
時間を少しもあなたたちに使いたくないよ。
メリットがないの。一緒にいて楽しくないの。

社会人になってからそんなに誰とでも会うわけではなくなった。
それは時間が限られるから仕方ないんだと思うの。
そして、人も変わる。私だって大学時代と思うことや考えることが変わったものもあるし(もちろん変わらないものもあるし)。
先日会った友人ともその話をしたよ。

withコロナlifeがはじまったのは、私が社会人2年目になった頃だ。
それから1年経って少し状況が落ち着いた2021年4月、わたしは意識をして友人と会うようになった。
毎週、土日、だれかとの予定を入れた。
そして、その際に一緒に撮った写真はinstagram storiesに載せた。
すると、「私とも会って」「私も遊びたい」とreplyがたくさんきて
もちろん、わたしはその全てに応えたわけではないけど、
なんだか、「私が会いたい」よりも、「ご期待に添える」「お誘いに応じる」という姿勢と向き合い方で、「捌く」に徹してしまった気がする。

それは、なんとなく、いまでも終わらずにひっきりなしで続いている気がする。Aさんとの約束が果たせてホッとすると(そもそもホッとするという感覚もおかしいだろうか)、すかさずBさんとの約束が入り、その後Cさんとの約束が入り、そうしているとまたAさんからお誘いをいただく。

そのような日々を過ごしていて、わたしは土日どちらも誰かにあってどこかに行く、ということをしていたらとにかく自分が疲れてしまって、
土曜日・日曜日に10,000歩ずつ歩いた私の足からは疲れが取れず、また月曜日がはじまり仕事に追いかけられる、、という日々になってしまうのだ。

それから、わたしにはこのスケジュールの組み方は自分の余裕も持てないし苦しいから、ということで、土日に予定を入れるならどちらかだけ、どっちかはweekly me dayとして何も予定を入れない(少なくとも誰かと遊ぶ系ではなく、ネイルやまつげパーマなどの美容メンテナンスデーにする)ということを決めた。

お誘いを「捌く」回転率は落ちたけど、
わたしは自分を大事にできるようになった。

人生、生きていれば、その人が持つバイブス(占いの世界では波動と呼ばれるが)も変わる。
考え方も周りの影響を受けて変化する。自然なことだよね。

わたしは神奈川に引っ越してから、それまで住んでいた埼玉や、東京の北部のエリアには近寄らなくなった。そもそも行く理由がないのと、遠いのと、あとなんとなくあの頃の垢抜けない感じが自分でも恥ずかしくて足が遠のいてしまった。

いやだ、苦手だ、という人やことに労力をつかうこと
仕事では多少我慢が必要かもしれない。占い師にも試練だから耐えることも必要なんだと言われた。
でも、余暇は、わたしはそんなものに極力エネルギーを使いたくない。
それは私のハートの声を聞くことなのでは。

だから、わたしはやはり苦手なひとやことに時間がこれまでもこれからも割かない。
彼らがどう思ったっていい。
大事なのは私がどう思うかだ。

* * *

占い師さんには、
あなたは今は対応をしてしまっている。体幹がないみたいに。
と先日言われた。
なんか、今日、このnoteを書きながら、こういうことなのかとわかった気がする。
つまり自分に目を向けずに、自分の気持ちに耳を傾けずに、
良い人、良い子、良いSatieになってしまっていたということだ

今日、友人に勧めてもらった凪のお暇を読みながらそう感じた。
わたしはもっとわがままになりたい。
お誘いを受けるばかりではなく。もちろん全てにお応えするのではなく選んで、自分でwantする方を意識してchooseして、
フワフワっとどこかに私の頭の心が離れていかないように注意しながら。

占いにはまってはいけないと言われるが、
〇〇にいわれたからそうなる、というのに引っ張られるのがいけないということなのだろう。
自分で選んで自分の足で歩いていく、
その感覚をこれからも大事にしていきたい。

暇だ、暇している、そんな言葉をいつまでも言っている人たちに伝えたいが
暇な時間があるのであれば、
どうか、マシなことに使ってください。
誰かのために使ってください。
そして、あなたが暇と呼ぶその時間を埋めるのに、
私の時間を使わないでください。
あなたのお暇な時間が、私のお暇な時間でもあるという愚かな前提を
どうか、お捨てください。
たぶん、あなたがその愚かさを手放したとしても、
私があなたに時間を割くことはないと思いますが
その事実をどうかご容赦ください。
悪しからず。

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