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寄付は自己表現の1つ。自分がどう生きたいか、意思表示してみませんか?

なにやら寄付にちなんだハッシュタグを見かけたので、下書きで放置していた記事を掘り出してみます。
12月は寄付月間らしいですね。


寄付って自己表現でもあるかも

「寄付」と聞くと、真面目だね、お金あるんだね、偉そう、偽善、といったような固くてネガティブな印象を抱く人もいるかもしれません。

私は自分でお金を稼いで暮らすようになったこの数年間、寄付やクラウドファンディングやオンライン署名など小さな社会参画を試して繰り返す中で、もう少し違った感覚を抱いています。


寄付とは

こういう社会になってほしいという願いであり
未来への希望を感じられる活動への投資であり
活動をしてくれてありがとうという感謝であり
自分を見守ってきてくれた社会への貢献であり

なにより、自分はこう生きたい!という『表現』なのです。
自己表現の1つでもあると、最近になって思うようになりました。

よく見たらnote公式記事でもちゃんと書いてましたね。

寄付は意思であり、投資であり、応援であり、願いです。寄付は、あなたが「欲しい未来のために、できること」。

noteの「#寄付してよかったこと」公式募集ページから引用


寄付というのは、思ったよりも有機的な行為です。
「お金をあげる」の一言で終わらせられるほど単純なものではありません。
お金が大きなエネルギーを生み出すこの社会において、寄付は寄付先の活動を力強く後押しするものとなり、寄付を通じて双方向のコミュニケーションすら生み出します。
※寄付先からは活動報告・イベント紹介のメールや冊子が送られてくることも多いです。

「わたし」は一人の人間ですから限界がありますが、寄付という行為を通せばその限界を超えて、たくさんの活動や人々と繋がりそこに参画することができるのです。


私の事例を紹介

私は今、UNHCR*とあしなが育英会に毎月定額寄付をしています。
* 日本国内での寄付は「国連UNHCR協会」という団体が統括しています。偽の怪しい団体というわけではないのでご安心ください。

生活費に余裕がなくなってきて金額を変更したりはしましたが、よっぽど困らない限り続けていこうと思っています。
月に千円とかであればぶっちゃけ節約しようがしまいがそんなに変わらないですし。
(千円・百円を切り詰めるほどのガチな倹約生活は、今のところ送らずに生きてこられています、たまにリボ払いは使うけど。そこは恵まれていると思います。感謝。)


UNHCRは、元々私が貧困問題や環境問題等に関心を寄せていたこと、家族が寄付するのをそばで見ていたことの影響からかもしれません。
似たような領域で活動している国際団体は、ユニセフや国境なき医師団、赤十字など色々あると思いますが、私はたまたま「難民」という切り口で寄付をしています。

また、春先のウクライナの災禍に際して寄付をしたときも、選んだのはUNHCRでした。


あしなが育英会も前から存在は知っていましたが、なぜ寄付を始めたかというときっかけはあれだったのかな?
新型コロナウイルスが急速に伝播し暗黒の雰囲気が広がっていた2020年春。会長の玉井さんが発した言葉が強く印象に残っています。

あなたたち(学生)のことは私が絶対に守るから。

※原文ママではなくニュアンスです

当時の会見動画が出てこないのが残念でならないのですが、あの言葉こそコロナ禍初期に必要なリーダーのあるべき姿でした。
奇しくもこの先の大学進学を検討し始めた私にとって、‘費用’ という壁が今大きく立ちはだかっています。
教育や学習にお金が掛かりすぎる状況は「まじつらすぎる・・」としか言いようがありません。


色んなやり方があるよね

私は今クレジットカードの定期払いで寄付をしていますが、探せばたぶん色々な方法があります。

銀行口座振り込み、お金ではなく物資での寄付
継続的な寄付、単発の寄付
国内に向けて、国際的な活動に向けて
団体へでも個人へでも、NPO、業界団体、政治家、ジャーナリスト、自治体、、、

自分の生活費とは別に数%でも千円でも、何か応援したいものや関心のあるものにお金を遣う。
それってある意味、「私はこう生きたい」という自己表現・意思表示だと思います。


(そうそう。寄付をした後は税金の控除を受けられる場合があるので、要チェックです。控除対象の寄付先であれば大抵の場合、寄付ページにその旨の記載がされていることが多いです。基本的には確定申告が必要になりますが検討してみてください。)


'22/12/01 最終更新

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