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ウクライナへ‘どう’寄附するのか ~寄附の意味と私の苦悩~

増え続ける難民

2月24日の侵攻開始から、はや1か月が過ぎようとしています。
こちらの読売新聞の記事にあるように、ウクライナの難民(+国内避難民)は国内外合わせて1,000万人にものぼるそうです。実に人口の4分の1。

私も何かできないかと思案し今回寄附をしたのですが、そのときに悩んだことがあります。
ウクライナ大使館の口座に振り込むかどうか、です。


ウクライナ大使館への直接寄附はやめました

結論、私はウクライナ大使館への寄附は行いませんでした。
さらに、(これも悩みましたが)数日前にリツイートした大使館の口座情報ツイートを取り消しました。

なぜか?

私の知る限り、在日ウクライナ大使館は寄附金の使途を明示していません。
こんな緊急事態下でそんなこと言ってられんだろ!といえばその通りなのですが、使途が明らかになっていない以上、寄附したお金が何の目的に遣われたとしても文句は言えないことになります。
つまり、直接武器の購入費用や何らかの軍事資金として遣われる可能性があるのです。


感情が高ぶるのは当然。でも感情だけ高ぶらせていてはダメ

侵攻当初からずっと、日本ではウクライナ支持の世論が圧倒的に強い状況が続いています。
ウクライナで多くの犠牲者が出ているので、市民感情としては当然かと思います。

しかしながら、私が24日に公開した記事『情報が何ベースで/どこから/どういう向きに発信されているか ~ウクライナ危機を憂いて~』の後半の章で触れたように、
今は善い⇔悪いのジャッジよりも、ウクライナの地で、あるいはウクライナを取り巻く国々の間で何が起きているのか注視する、より確からしい情報を探り当てることをメインに据えるべきだと考えます。
善悪のジャッジで頭がいっぱいになって、冷静で本質的な状況分析が難しくなるのであれば、その悪者探しはいったん脇に置きましょう。

色々な人が指摘しているように、今は非常事態です。プロパガンダはロシアだけが流しているわけではありません。様々な情報が飛び交い、正確な情報を見極めるのが非常に難しい状態が続いています。
ウクライナが100%一方的な被害者で100%正義で、ロシアをぶっつぶすことが唯一の解決策だとは私は思いません。
それはもしかしたら、勧善懲悪もののドラマの見すぎかもしれませんから。

加えて言えば、「表面的な‘正義’の体現」と「戦火による犠牲を最小化すること」、「国や国民にベターな未来を残すこと」は、それほど単純には一致しないでしょう。
別日の『誰が悪いのか? (ロシア人憎悪・プーチン氏奇行論)、そして出口戦略』でも書きましたが、今必要なのは出口戦略であり、この惨状をいかに早く収束させ未来に繋げるかという、戦略的な視点です。
と同時に、(言わずもがなですが)今まさに戦火に巻き込まれ続けている人々への最大限の支援です。

地下シェルターに籠り続けるほかなく生死をさまよったり、負傷したり、家族を失ったり、隣国に避難したり、、そういった草の根の命のともしびに寄り添い続けることと、
そういった感情とはやや距離を置きつつ、このトンネルを抜けるための戦略的な視点を持ち続けることは両方必要です。どちらか一方ではいけません。
そして、この2つは両立できるはずです。


国籍への連帯はわかりやすいけど注意が必要

今のところ私は上記のような考え方をしていることもあり、ウクライナを象徴するようなシンボルを使うことにも、ややためらいがあります。

これは、私のTwitterアイコンとユーザー名です。

ユーザー名「うにぽん」の末尾にピースマークが付いている

Twitterの名前だけでも何かしらの意思表示に使えないかと悩んだ私には、ウクライナ国旗や国旗の色のアイコンの選択肢もありましたが、結局選びませんでした。
というのも、過去記事で触れたように、国籍だけで安易に連帯したり逆に憎悪をぶつけたりするのは、戦争の再生産ではないだろうかと思うからです。

もちろん、ウクライナ国旗やウクライナカラーを使っている人たちは、酷い状況に置かれているウクライナの市民への連帯を示したいという素朴な理由がほとんどだと思います。
だとは思いますが、それを見て軽薄に国籍と善悪を結びつけたり、善悪のジャッジだけに一生懸命になり、現状打破に繋げるための冷静な分析・考察を怠ったりする動きを誘引しかねないのも事実です。

私は、SNS等を通じて世界中の市民の間で戦争が再生産されることや、過剰な善悪二元論が加速する事態に加担したくはない。
そういう思いから、今回は「ピースマーク」をユーザー名に添えることにしました。
円の中に鳥の足というかジェット機のような図柄が納まった形は、一見どこかの秘密結社のマークのようにも見えなくはないですが、元々は核軍縮・反核運動のシンボルとして創られ、そこから反戦・平和運動全般のシンボルとして使われ始めさらに広がっていったそうです。
この間見に行ったバンクシー展でこのマークを見かけたことから、インスピレーションを得ました。


自分の寄附金が何にどう遣われるのか/遣われたのか

話を元に戻しますが、前述のように今回ウクライナ大使館は寄附先に選びませんでした。
これだけ情報の見極めが難しくなっている中で、私の寄附金が武器購入のような直接的な軍事費として遣われたら、、

ウクライナにそういった資金を提供するのが本当によいことかどうかは正直判断できませんし、(ここ重要ですが→)たとえそれが正しいことだと確信していたとしても、武器調達を初めとした戦闘関連行為を承知した上でそれらに対してお金を出すというのは、非常に重い決断です。
そのお金で、直接的に人が死ぬ(殺される)かもしれないからです。

寄附はお金を出したら終わり、ではありません。
そのお金がどう遣われたのか? その寄附先は信用できそうなのか? 今後も支援していきたいのか?
寄附という行為を通して自分の意志を最大限表現するには/最大限世の中に良いインパクトを与えていくには、継続的な目線が必要となります。

今回私は、国連UNHCR協会に寄附しました。

普段から「国連難民サポーター」として毎月少額ずつ寄附している慣れ親しんだ団体であることに加え、
ウクライナ難民増加は現在大きな課題として浮上しており、私の寄附したお金が確実に役に立つこと、この侵攻の決着がどうつこうと政治的駆け引きがどうなろうと関係なく絶対に必要な支援であると確信できること、が決め手でした。


みなさんは、どう表現しますか?何を表現しますか?
私の持つ視点が少しでも参考になれば嬉しいです。


'22/03/21 最終更新

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