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ウェディングドレスを試着したら原始時代が始まった 【ドレス探訪記・前編】

私は着痩せしている。常に着痩せしている。全裸の時以外は常に着痩せしている。全裸を人に見せることなどまずないのだから、私を知る人は皆、私の着痩せした姿しか知らない。つまり、着痩せしていない私は公には存在しない。となると、私はもう痩せていると言っても過言ではない。過言ではないので言わせてもらう。私はもう痩せている。それくらい、私は着痩せしている。

私は、とある店の前にいる。去年結婚した夫も一緒だ。繁華街のメインストリートに位置するこの店の前を、私は今まで何度も通り過ぎて来た。足を踏み入れる日が来るなんて考えたこともなく、他人事であった。しかし、その日は自然とやってきた。それが今日である。ガラス張りの洗練されたエントランス。歩道に面した大きなショーウィンドウ。ディスプレイされているのは、眩しいくらい真っ白なドレス。

私たちは数か月後に控えた結婚式に向けて、ウェディングドレスの試着にやってきたのである。

私の中でウェディングドレスといえば、友人たちの姿が思い浮かぶ。今までたくさんの結婚式に出席してきたが、友人たちは皆、きっちりばっちり体を絞って晴れ舞台に臨んでいた。地道なダイエットやトレーニング、その全ては、ウェディングドレスをきれいに着こなすため。弛まぬ努力の成果がそこにはあった。私はその姿に惜しみない拍手を送り、コース料理を残さず食べた。美しい体を見ながら食べるごちそうは格別である。

そして自分の晴れ舞台が近づいている今、私は思う。結婚式を控えていようがなんだろうが、食って飲んで好き勝手暮らしたい。必要最低限しか動きたくない。白いドレスのために白い飯を我慢するなど人生が白けるばかりである。しかし、ドレスはきれいに着たい。弛まぬ努力はしたくないが、弛んだ体は見せたくない。

そのために重要なことはやはり、着痩せである。

ウェディングドレスは総じて肌の露出が多い。目の前にあるこのショーウィンドウにディスプレイされているのも、胸から下だけが覆われたビスチェタイプのドレスである。まさに王道というデザインであるが、上半身にほとんど布がない。これでは着痩せできない。そう、着ていないのだから着痩せできない。しかしながら、私も下調べはしてきた。ウェディングドレスと一口に言っても、思った以上に種類はたくさんある。肩や二の腕が隠れるようなデザインもネットでいくつか見かけた。元々王道よりも邪道に惹かれる性分で、THE・ウェディングドレスというものへの憧れはない。どこかに一癖あるような、個性を感じられるデザインがいい。そして、とにかく着痩せ。なにはともあれ着痩せ、だ。

予約時間ちょうど、私たちは自動ドアの向こうへと足を踏み入れた。高級感あふれるドレスショップの店内。壁には軽やかにウェディングドレスを着こなすモデルたちの写真がいくつも飾られている。なんだか緊張して汗ばんできた。私は果たしてドレスを着こなせるのだろうか。似合うドレスはあるのだろうか。

いや、恐れるな。

私は写真のモデルよりも明らかに短い首からマフラーを外し、己を鼓舞した。私には着痩せがある。着痩せと共に積み重ねてきた時間がある。何度もトライ・アンド・エラーを繰り返し、着痩せというミッションに果敢に挑んできた歴史がある。私くらいになると服を買う時も遠目でハンガーに掛かっているのを見ただけで着痩せするかどうか判別できる。それくらい着痩せ審美眼が研ぎ澄まされているのだ。そう、私なら出来る。自分を信じろ。着痩せを信じろ。着痩せはいつでも、私の味方だ。さあ、かかってこい、ウェディングドレス。絶対に着痩せしてみせる。

奥からスタッフが出てきて、ぎらぎらと闘志を燃やす私の額を「ピッ」と検温した。平熱だった。


担当のドレスコーディネーターは、Sさんという同年代くらいの女性であった。明るくて穏やかな、感じのよい人だった。

「どんなドレスがお好みか知りたいので、まずはカタログを見て、ざっくばらんに好き嫌いなどのお話を聞かせてください。」

テーブルの上にはカタログが三冊ほど置かれていた。分厚いカタログだった。私は腕をまくりあげ、強い気持ちでカタログをめくった。

「これはダメなやつ。」

「これも絶対やばい。」

「惨劇。」

「隠してるつもりが太って見える罠。」

「中途半端な袖は罪。」

「これは大変なことになりますよ。」

ドレスを着たモデルたちの写真を次々と指さしながら、主に着痩せについて感想を述べていった。好き勝手言う私の言葉をSさんはフムフムと丁寧に聞き取り、時折メモしている。やはり二の腕などを気にする人は多いらしく、「わかります」「そうですよね」「おっしゃる通り」と私の着痩せに対する熱い気持ちを受け止めてくれた。隣の夫も「なるほど」「そうかも」「確かに」など、いい感じに相槌を打って盛り上げてくれた。さすが「if…」のサビで完璧な合いの手を入れる男である。しかもおそらく私とSさんの言っていることをほぼ理解していない。それでも自分なりに場に加わわろうとしてくれているのだ。なんて健気な夫だろう。今夜は焼肉に行ってカルビを食べさせてあげたい。

「では、実際にドレスを見てみましょう。」

Sさんに連れられ大きな部屋に移動した。そこは一面、真っ白だった。壁に沿ってウェディングドレスがずらっと並んでいる。白い。白すぎる。私は普段、白い服を着ない。着痩せにおいて膨張色の白は鬼門であるし、酒を飲むと確実に汚すから着ない。私にとって白は恐怖の色。そもそも分が悪い戦いなのである。

とりあえずハンガーに掛かったドレスを手あたり次第にひらひらと広げてみる。しかし、わからない。全部白いし、全部長い。それしかわからない。完全にポカンである。これが先程カタログを見ながら講釈垂れていた人間か。無力。圧倒的無力。打ちひしがれる私の横で、夫は涼しい顔をしている。その目は何かを悟ったように悠然。ハッとした。この人は「わからない」ことを知っているのだ。無知の知である。なんて賢い夫だろう。きっと髭を剃ったソクラテスはこんな顔だったに違いない。カルビをもう一皿食べさせてあげたい。

「こちらは袖があって二の腕が隠れますし、広がり過ぎないデザインで大人っぽいですよ。」

「これもラインがとてもきれいなので、スラッとして見えると思います。」

大量の白ドレスに白目を剥く私を見かねて、Sさんが好みに合いそうなドレスをいくつか選んで解説してくれた。しかし、その解説を聞いてもまだピンと来ない。普段着とは形が違いすぎて、自分が着るとどうなるのか全く予想がつかないのである。今までの人生で培ってきた服選びの知見が、ウェディングドレスにおいては全く役に立たないのだと思い知った。私も夫に習い、わからないことを認めるしかない。認めて、とにかく着てみるしかない。

見繕ってもらった中から好みに合いそうな数着を選び、試着室に移動した。私はカーテンの中に、夫は立派な椅子に案内された。

服を脱ぎ、Sさんの手を借りながらドレス用の補正下着を身に着ける。噂には聞いていたが、思った以上の締め付けだ。こんなにウエストを絞ったら体が砂時計みたいになってしまうのではと危惧したが、鏡を見ると実際は色っぽい土偶くらいの感じであった。

最初のドレスはビスチェの前と後ろからレース生地が伸びていて、それを右肩の上で結んである、アシンメトリーなデザインが個性的な一着であった。結び目から垂れたレースが右の二の腕を隠してくれるという。元卓球部で右腕が太い私には好都合だ。そして私はアシンメトリーに弱い。アシンメトリーというだけで無条件にイケてると思ってしまう質である。男だったらノンスタイル井上と同じ髪型にしていたに違いない。

「ここを押さえていてください。」

「ここにゆっくり足を入れてください。」

「後ろ、きつめに締めますね。」

Sさんの指示に従いながら、ドレスを身に纏っていく。和装を着付けてもらった経験はあるが、ドレスを着付けてもらうのは初めてだ。プリンセス的なものには見向きもせず生きてきた私であるが、そんな私でさえじわじわと気分が高揚していく。今ならどこからともなく集まってきた小鳥たちと仲良くお喋りできそうである。これがウェディングドレスの持つパワーなのだろうか。ギチギチの腹回りは苦しいが、その苦しさすら誇らしく思える。

「できました。カーテン開けますね!」

さあ、新婦のお出ましだ。記念すべき、はじめてのウェディングドレスだ。

ハイヒールに気を付けながら、私はゆっくりと立ち上がり、鏡で全身を見た。真っ白な輝き、滑らかに広がるスカート、補正下着のおかげでくびれたウエスト。そして、肩のアシンメトリー。

ン? 

なぜか原始人がいる。

もう一度見る。

やっぱり原始人がいる。

夫とSさんは「わあ~!」と歓声をあげている。私は、夫に尋ねた。

「ねえ、原始人いる?」

このドレスの肝である右肩でレースを結ぶデザイン。この片側で結んである感じが、思いっ切り原始人。純白の原始人なのだ。

おそらく原因は肩周りと二の腕の肉付きであろう。まるで日々石器を振り回しているかような逞しさである。首が短いことも作用して、期待していたレースの着痩せ効果が見事に無効化されている。Sさんが持たせてくれたサンプルのブーケも、もはや野草を鷲掴みにしているようにしか見えない。採集の真っ最中といった様相である。いけない。これはいけない。

「似合ってるよ。いいと思う!」

「いや、やばくない?原始人っぽくない?」

「そんなことないよ!似合ってる!」

私の姿を色んな角度から見て回り、夫は何度もそう繰り返した。原始人となった妻にもこの愛情。なんて優しい夫だろう。マンモス肉を食べさせてあげたい。

「とてもお似合いです!原始人じゃないです!」

「ほ、ほんとですか。」

「はい!ぜんぜん原始人じゃないです!」

まさかこの煌びやかなドレスショップで「原始人」という単語が飛び交うことになるとは誰が予想できたろう。Sさんは「原始人じゃないです」などという奇天烈なフォローを入れるためにドレスコーディネーターになったわけではない。決してない。申し訳ない気持ちでいっぱいである。洞穴があったら入りたい。

確かに、ドレス自体は素敵なのだ。艶やかで、シルエットがきれいで、着る人が着ればすごく格好いいはずだ。そんな素晴らしいドレスだというのに、右肩に結び目があるだけでこんなにも原始人っぽくなれるものだろうか。自分の原始人としてのポテンシャルの高さに驚きを隠せない。

とにかく、一刻も早く現代人に戻らねばなるまい。原始人を高砂に鎮座させるわけにはいかないし、石器じゃケーキがうまく切れないし、火を恐れてはキャンドルサービスもままならない。夫とSさんの優しさを噛み締めつつ、私は純白の原始人ドレスをそそくさと脱いだ。


さて、原始人の出現にすっかり出鼻を挫かれた私ではあったが、そのあと何着かの試着を経て、このドレスと出会った。

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二の腕の太さを決して悟らせないフレアスリーブと首の短さをカバーする深めのVネックにより上半身の肉感は帳消し。更に背中もVカットになっており、締め付けられた肉がムチムチはみ出す心配も無用である。繊細で柔らかく、変にテカテカしていないナチュラルな素材感も好みだ。すとんと落ちる素材で全体がすっきりと見え、それもまた着痩せに一役買っている。

完璧だ。完璧な着痩せだ。これなら言える。私はもう痩せている。

「可愛い!可愛い!それがいい!」

今までとは明らかに違うテンションで褒め称える夫。どうやら夫も相当気に入ったようである。しかし可愛いと言われて嬉しい反面、それこそがたった一つの気になる点でもあった。ひらひらの袖に、フラワーモチーフ。このドレス、私の普段のイメージよりも幾分「可愛い」寄りなのだ。

「着痩せとしては最高なんだけど、ちょっと可愛い感じだよね。似合ってるかなあ?」

「似合ってるよ!めちゃくちゃ似合ってる!」

夫はかなり食いついている。スーパーでお肉コーナーにいる時くらい食いついている。野菜コーナーにいる時は曇天のように暗い夫の瞳は、お肉コーナーに行くとハート柄のカラコンでも装着したのかというくらいに輝く。今、完全にその目をしている。そもそも夫は私よりずっと「可愛いもの」好きなのだ。

「でも、このお花とか可愛くない?私っぽくなくない?」

「可愛くない。お花小さいから可愛くない。」

「このひらひらとか。」

「可愛くない。大丈夫。全然可愛くない。」

私の感覚が捻じ曲がっているばかりに「可愛くない」と連呼されるドレス。何とも不憫である。

「私もすごくお似合いだと思います。シルエットがスレンダーなタイプなので、そんなに甘さはありませんよ。」

Sさんの意見を聞いて、なるほど、確かに裾の広がりがない分、ウェディングドレスの中では甘くない方なのかもしれないと思った。そもそも、ウェディングドレスというのは真っ白でひらひらで、総じて普段着より「可愛い」のは当たり前なのだ。普段シンプルで暗い色の服を好む私が違和感を持つのは当然と言えば当然と言えるだろう。それにまだ自分で見慣れていないだけで、他人から見れば何の違和感もないのかもしれない。「面白くないのに笑う必要などない」と吐き捨て真顔で写真に写り続けた暗黒の中学時代を持つ私ではあるが、「気にしているのは自分だけ」という事態は人生においてよくあることだと32歳ともなるとさすがに理解している。

そして何より、この凄まじい着痩せ効果は見逃せない。あらゆることを差し引いても有り余るメリットである。このドレスならどんな角度から見られようと写真を撮られようと確実に着痩せできる。せっかくの結婚式。酒を飲む気満々の新婦。おそらく隙だらけになる新婦。となれば、リラックスして思う存分楽しむためにも多少気を抜いても大丈夫な衣装にしておくに越したことはない。だとすると、これほどぴったりなドレスは他にない。

改めて全身を鏡で見てみる。確かに可愛い部分もあるが、スレンダーで大人っぽくもある。何ら問題はない。やはり気にし過ぎだったのだ。そうだ、このドレスこそ、私の運命のウェディングドレス、パーフェクト着痩せドレスなのだ。中学時代の私よ、見ていてくれ。私はこのドレスで着痩せして、笑顔の写真をたくさん撮るぞ。

「このドレスを予約お願いします!」

「ありがとうございます!」

私たちは書類にサインし、レンタル予約金を支払った。気に入ったドレスを一旦予約し、より気に入るドレスを見つけたら変更することもできるらしい。何度か試着に足を運んで決める人が多いそうだ。

「他にも袖のあるデザインはいくつかございますので、是非また試着にいらしてください。」

深々と頭を下げるSさんに見送られ、私たちはドレスショップを後にした。晴れ晴れとした気分だった。夜は焼肉屋に行って、素敵なドレスが見つかったことを祝い、乾杯した。

「あのドレス、本当に良かったなあ。」

トングで肉を焼きながら、夫はしみじみそう言った。すごく嬉しそうだ。やはり、あのドレスを選んで正解だった。もちろん自分の気持ちが最優先ではあるが、夫がこれだけ気に入るドレスを選べたことを嬉しく思う。私のドレス姿を一番近くで見るのは、他の誰でもない、夫なのだ。

「でも、また試着しに行こうね。他にもいいのがあるかもしれないし、たくさん着てみたらいいと思う。」

「うん、ありがとう。」

しかし実際のところ、あのドレスを超えるものには到底出会えないだろうというのが本音だ。試着には一応また行くつもりだが、ほぼ決定していると言っていいだろう。

私と夫の間で煙がもくもくと立ち昇り、スムーズにダクトへと吸い込まれていく。

「いやー、それにしても、やっぱりウェディングドレスって感動するね。俺、一番最初のドレス着てカーテンから出てきたとき、ちょっと泣きそうになっちゃった。」

「え、あの原始人で!?」

「いや原始人じゃないから!すごく感動したんだから!」

夫の意外な告白を聞いて、思わず顔がほころぶ。と、同時に、原始人だなんだと騒いで感動シーンを台無しにしたことを心の中で懺悔した。ムードもへったくれもない新婦である。いやでも、あれは絶対に原始人だった。

火を恐れない我々は肉をじゃんじゃん焼いた。マンモス肉はなかったが、夫はカルビを思う存分食べた。私もたくさん食べた。もちろん白い飯も食べた。パーフェクト着痩せドレスを見つけた、そのおかげで何の心配も罪悪感もなく、夫と一緒においしいものが食べられる。

閉じ籠りがちだった冬も、もうすぐ終わる。春になったら、夫と外でバーベキューをしたり、ベランダで酒盛りをしたい。加減なんてするもんか。こちとら新婚さんでいらっしゃるぞ。好きなだけ食べて好きなだけ飲んで、2人の時間を好きなだけ楽しむのだ。もしちょっと太っちゃったとしても、あのドレスなら大丈夫。着痩せはいつでも、私たちの味方だ。



【ドレス探訪記・後編】へ続く↓



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