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ADHDと言われて。

 昨年の5月にお医者さんにADHDと診断されました。
自分の周りに知らせるのが怖く、でも自分1人で抱えるには大きすぎるため、ノートにて吐き出させていただければと思います。

 自分は仕事が長く続きません。
話は高校3年生に戻ります。
今が26歳なので約8年前の話です。
元々受験組にいたので本格的な就職活動というのはせず、とりあえずアルバイトをしようという安易な結論に達し、働くことにしました。
早くお金を貯めて免許を取りに行きたかったため、休みも少なく働いていました。
高校卒業と同時くらいに1人暮らしを始めたこともあり、精神的に辛くなってしまい、仕事に行けなくなってしまいました。
1年持たず、10ヶ月くらいでした。
この頃は友達も大学がキツく、精神科に行っているという話を聞いたため自分も行ってみることにしました。
初診だったため、軽いうつの薬と夜寝れないこともあったので軽めの睡眠薬を出してもらいました。
飲み始めて3〜4日経った時、体に異変がありました。
薬を飲むのが怖くなってしまい、手も震えだし、過呼吸になってしまいました。
それ以来、薬を飲むこともなく、病院も行かなくなってしまいました。
幸い、しばらく休養していたら体調も良くなってきたため、次の仕事を探し始めました。
次は土日が隔週休みの仕事なので長く続けられそうと思ったのですが、先輩からのいじめに合い1年弱で仕事に行けなくなってしまいました。
その後その会社にお世話になることになり、話を聞いてみたところ先輩は辞めさせられたことを知りました。
自分は間違っていなかったのだからもう少し頑張ればよかったなと後悔しています。

 だいぶ重くなってしまいました。
まだこのような話がしばらく続きます。
ただ休養期間に発見できたこともあるので一旦休憩をしてそっちの話もしていこうかなと思います。
実は1個目のアルバイトをしながら免許を取りに通っていました。
小さい頃から車を運転することが夢だったので教習はとても楽しかったです。
また休養期間中にカメラも始めました。
今でも趣味で続けているのですが、最初に購入したのはオリンパスのミラーレス一眼でした。(今はオリンパスは妹に譲り、キヤノンの7DⅡと5DⅢの2台体制です)
車で旅をしながら、カメラで写真を撮るのが楽しくて、この頃はまだ友達も大学生のため一緒に旅をしたりしていました。
色々なところに行ってきたので、また別の機会にでも書こうかなと思います。
ずっと休んでいるわけにもいかないので、お金がなくなってきたら次の仕事を探して、というような行き当たりばったりなことをしていました。
それもあってかいわゆるブラック企業、とまでは行かないようなグレーな会社に入ってしまうことが多く、1年続かないことが多かったです。
その中で会社の健康診断があり、「不整脈」が見つかりました。
あまり馴染みのない不整脈のようですが「WPW症候群」というもので、若いうちは不整脈が現れることは少なく、成人してから現れることが多いそうです。
お医者さんからは手術を勧められ、その時の仕事が辛かったこともあり、仕事を辞めて手術を受けることにしました。
この手術は正直キツかったです…
これも長くなるのでまた書きます(笑)
退院をしてからしばらく休養期間を挟み、次はリハビリも兼ねて短期のパートをすることにしました。
ここはホントにホワイト企業のお手本みたいなところですごくやりやすかったのを覚えています。
仕事の内容自体は大変だったのですが、逃げ出さず1年間続けられたのは対人関係でも問題なく、定時上がりは当たり前、土日も休みが取れたことが大きいと思います。
ここで続ける選択肢も用意されていたのですが、正社員登用ではなく、委託業務となり個人事業主として働く道だったため、まだ若くて未熟だった自分はその話をお断りし、また休養期間を取ることを決めました。

 こうやって書いていくと自分が今までいかに行き当たりばったりだったかがわかりますね(苦笑)
ですがADHDと診断されて腑に落ちる部分は自分のこういう性格でしょうか。
ただ甘えているだけと言われちゃうと言い返せませんが…
次の仕事はレンタカーの配車、洗車などを行うアルバイトをしました。
ここでは仲の良かったパートさんが辞めてしまってからが地獄の始まりでした。
おじさんアルバイトの人がわがままな人が多く、めんどくさい仕事は全部自分のところに回ってくるようになってしまいました。
うまく断れれば良いのですが全部背負い込んでしまうところは自分の悪いくせですね。
仲の良かったパートさんが辞めてしまって1ヶ月も経たないうちに仕事に行けなくなってしまいました。
またしばらくの休養期間です。
次の仕事は自動車のパーツの配送の会社でした。
本社での研修が2週間あり、本社の方は皆さんご年配の方で優しく、仕事もそこまで多くなくやりやすそうな雰囲気でした。
しかし研修が明け、配属先に行くと本社とは全く違う忙しすぎる現場。
お客さんの元へ配送に行くと「まだ続いてるんだ」と言われるくらい。
この時は精一杯だったので気に止まっていませんでしたが、辞めてから思うのはお客さんは警告してくれていたのだなということでした。
次は思い切って県外の会社に勤めてみようと思いました。
結果から言うとまた限りなく黒に近いグレーの企業に入ってしまいました。
空港内での仕事になるため、1回中に入ると仕事が終わるまで外に出られません。
しかも途中でダイヤ変更があったため、朝7時から夜の10時まで拘束されることが増えてきました。
そうなると自分の悪い癖が出てしまいます。
また仕事に行けなくなってしまうのです。
ただ今回はその兆候に気付き、病院に通っていました。
最初はめまいがあったため緊急で受けたところ、漢方の外来をお勧めされたので受けてみることにしました。
しかしよくなることは無く、仕事も次第に休みがちになってきていたため、次は精神科を受診することにしました。
しかし、初診では診断書も出ず、薬も漢方を続けて飲むと言うところで終わってしまいました。
社宅だったため、退去しなくてはならずここの病院ももう行くことは無いと思います。
そしてまたしばらく休養期間に入ります。

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