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残り物ランチを食べながら禅問答。

冷蔵庫に残っているものを使ってランチ。ベーコンと玉ねぎの白出汁ペンネと京都・やよいのちりめん山椒が残っていたので贅沢に使ってチーズも入れて、卵焼き。地味だけれど美味しかった。

39年ぶりに木枯らしが吹かなかった今年の冬の始まり。おとといなんて、春一番みたいな生暖かい風が吹いていた。予期せぬことが色々あるけど、何があってももう驚くなよって、今までの普通も当たり前も、もうなくなったんだよって、天からのメッセージのようにも感じてしまう。なんて、激動の今年を振り返りつつ思ったり。

でもフランスはすごいな。暴動して、増税をストップさせた。中国のドルガバ事件もすごかった。嵐のように積み上げた過去を消してゼロにして去ってゆく。そのスピードの速さが怖いくらいに加速している。勢い。

きのう、「マルセイエーズ」を歌えば一致団結して戦えるけど、「君が代」じゃそうはいかない。みたいなツイートを見た。なるほどな。確かにな。と思う。だからと言って君が代が、日本が、フランスより劣っているということではない。日本は気持ちの高まりを沈静化し冷静な判断と行動に移すことを美としてきた国なのだから。ないものを見ると羨ましくなってしまうけれど、「ない」こととどう向かい合うかによってしか満たされないのだから、考える。しかない。日本が変わるために必要なのは、一人一人が考えること。当事者意識を持つことだけなんだ。怒りを無視しないで。60代くらいの世代と話していると、男女問わず、ある物事に対してそれでいいとは決して思っていないのに、日本はそういう国だから、仕方ない。で考えた気になっている人が多いことに気づく。仕方ない。の先にしか、考える、はないんだけどね。満たされていない自分に自分自身で気づくことなしに希望は見えても来ないのだ。怒りは希望だ。

こないだ京都に行った時に、枯山水を見ながら同じようなことを考えていたっけな。縁側に座って庭園を眺めるその心の中は、真っ赤にドロドログツグツしていたに違いない。禅は、外国人の思うような「無」クリーンなものではなかったはずなんだ。日本の余白は、心を鎮めるためじゃなくて今をそのまま映し出し、まざまざと向き合うための、鏡なんじゃないか。あるものをなくそうとしないための。久しぶりの京都で、枯山水を見ながらそんな風に思ったのは初めて。

12月も中盤に差し掛かり、行き場のない私の中のドロドロはもどかしさでいっぱいだけれど、今年は、自分を初期化した。というところで終わりにしていいんじゃないかとも思った。新しいアプリは新しい年のお楽しみにして。これ欲しい!と思えるアプリが新発売されるその日を心待ちにして。そして、誰になんと言われようと、自分を一番信じて、感じたことを行動に移してみようと思う。後悔したら、ただ後悔すればいいんだ。後悔したっていいじゃないか。怖いと思ったら、その怖さを噛みしめればいいだけ。傷ついたら気がすむまで泣けばいい。ただ恐れないこと。多様性に生きるというのはきっとそういうことなんだ。一人一人が強くなること。自分の人生に責任を持つこと。

noteは、書きながら考える私だけの秘密基地。書くことで考える。地味だけれど、毎日の何気ないことをなかったことにしないために、小さなことに意識を向けるために、私のnoteがある。いつかまとめて本にできたりしたらいいけれど、まずはコツコツ書きためていかなきゃ、ね。

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