自分は誰なのか。
今日は月一でババジのお弟子さんである志賀先生の瞑想会に参加してきました。そこでの学びを今日はシェアします。
今日は眼精疲労と肩こりがひどくて、行くか迷ってたんですが、行って瞑想したら気分が楽になりました。滞ってたエネルギーが少し動いたみたいです。
今日は先生に、どうしたら自分はダメだっていう自己否定の思いから抜け出せるのかという質問を投げかけてました。
私は小さい時から内にこもるタイプで、母親から暗いとか変わってるとか言われ続け、ネガティブな言葉を受けて育ちました。昭和の初期の世代は𠮟って子育てするのが当たり前だったので、母もそうしたんだとは思うのですが、愛人を作ったり、借金の保証人になって騙されたのがきっかけで、人をだますようになった父に私はそっくりな容姿だったので、余計あたりが強かったような気がします。なので、潜在的に自分には価値がない、完璧でないと愛されない、自分はダメって思いが強くあります。
近年では大分、自分をいたわったり、自己受容もできるようになってきましたが、まだ自分はダメって思いが所々顔を出して、足を引っ張ったりします。そこでの質問だったわけです。
先生は自分は誰かを思い出しなさいと。
私たちは何か役に立つとか、何かができるとか、条件付きで存在を許されてるわけではない。マインドが作った思考という幻想がそう言ってるだけ。太っていようが、頭が悪かろうが、性格が悪かろうがそんなことは関係なく、生かされ、愛され、ここに存在している。ダメという存在なんかいない。私たちは太陽で、光で、それを遮る雲(=マインド)ではない。それを常に思い出しなさいと言ってました。瞑想するとマインドとは少し距離を置いて、本来の自分にアクセスできるので、確かに気持ちはいいです。そしてそれを体感していくしかないと。
やっぱそうですよね。頭ではわかってても中々体感までは落とし込めない。なんか永久的に禅問答を繰り返しそうです。
でも、きっと私は諦めが悪いので、コツコツと自己受容も続けていきつつ、自分はダメでもいいんだと心から思える日までもがきます。(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?