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「殺人の追憶」のこと

ポン・ジュノ監督のことを知ったのは、この映画からである。そのあと「グエムル」「母なる証明」「パラサイト」と見てきているが(2本の合作映画は食指が動かず見ていない)、「殺人の追憶」ほど飽きずに見ている映画はない。正直、日本映画を超えたと思った映画である。
最近、是枝裕和が韓国映画のベストワンとして、「殺人の追憶」を挙げていた。「七人の侍」を想起したというが、なんだそれ? である。あのヒーローたちの活劇とどこに共通点があるというのだろうか。
そしてもう一つ最近、ポン・ジュノの「吠える犬は噛まない」を見たのだが、これがいいのである。差別を扱っているということでいえば、「パラサイト」より格段にいい。映像の遊びもある。「グエムル」で見せた狭隘空間に人を詰め込む趣味がこの映画にも現れている。

さて本編である。死体が発見された窪地に警察官、刑事、鑑識、マスコミ、一般人が群がってくる。そこに自転車をギコギコ漕ぎながら、主人公の刑事がやってくる。斜面に足を取られる。ようやく部長のところまでやってくると、カメラは俯瞰に移って、全体の取り散らかった現場を映し出す。もうこの時点で、いい映画になりそうだ、という予感がする。その俯瞰の移動がハリウッドっぽいのである。

タテ軸に田舎刑事(ソン・ガンホ)と都会刑事(キム・サンギョン)の確執があり、劇が進行するほどに都会刑事が泥臭い田舎の捜査手法に染まっていく。もう一つの軸が、近代化するまちの姿である。それは黒くそびえる大工場の黒いシルエットで表される。

田舎刑事たちは最初は知的障害をもつ男を犯人に仕立てようとし、自白を誘導し、強要するが、辻褄が合ってこない。やがて、軍隊帰りで、工場に勤める美青年が真犯人として浮上する。殺した女のセクス内に奇妙なものを残すような殺人鬼が、切れ長の目の、手指が白くてきれいな男である。その男はどこかからふらっとその田舎町にやってきて、先の工場に勤めている。

犯人とおぼしき人間を追いかけ、工場の広い砂利の採石場のようなところに出る。夜なのに煌々と光が灯り、そこで大勢の人が立ち働いている。それも犯人と同じ黒ずくめの姿をして! これは明らかに「インディジョーンズ」のカイロの群衆のシークエンスの引用である。犯人は雨の日に限って犯罪を犯すが、その日にはラジオのリクエストに同じ曲が必ずかかる。この仕掛けも、何か昔の映画であったような……。

得がたいな、と思うのは、ソン・ガンホの看護師の恋人である。目立った美人ではないが、どこか質朴の味がある。韓国映画でよく見かける女性像である(最近、邦画「すばらしき世界」でソープ嬢を演じた桜木梨奈にその面影があった)。ガンホが膝枕で耳垢を取ってもらっている図は、しみじみとしたものである。

何人かの容疑者を取り調べるシーンには、きちんとユーモアを挟んでくる。これは韓国映画の特徴の一つである。アメリカ映画には緊張感が高まったときに、ふっとジョークを言うのが決まりみたいなものだが、韓国のはもっとふつうのときに発揮される。たとえば、「グエムル」で大好きなシーンがある。家族全員が怪獣に連れ去られた末の女の子の捜索に疲れ、炬燵を囲んでカップ麺を食べていると、いないはずの女の子が家族の間にちょこんと座っていて、みんなも彼女の口にふつうに麺を運んだりする。このシーンは天才的な感じがする。

ラストは事件からしばらく経ったという設定である。ガンホはいまはコンピュータ(近代の象徴)のセールスマンをやっている。家族は何LDかの公団マンションに住んでいる。妻は先の看護師だが、髪型も変わっていて見分けもつかない。大きくなった子どもが2人いて、もう父親の言うことも聞かない。つまり熱くどろどろとした人間関係など漂白されてどこにもないのである。犯人を追う間は濡れて黒光りするような色で撮られていたのが、ここでは露出オーバーの白茶けた色に変わっている。余りにも露骨な演出なので、鼻白んでしまうが、今回の「パラサイト」にもそういう癖が出ているところがある。

この映画、もう10回は見たろうか。まだ飽きがこないから不思議である。いくら好きな映画でも5、6回が限度である。マイク・ニコルズ「卒業」はもう十数回になるが、もしかして「殺人の追憶」はそれを超えることになるかもしれない。
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