2024年1月の記事一覧
カープダイアリー第8509話「新球場マツダスタジアムから15年、新スタジアム、エディオンピースウイング広島が平和の翼を広げる時」(2024年1月30日)
あす、広島では大きなイベントがある。エディオンスタジアム広島の報道関係者向け内覧会だ。広島市とサンフレッチェ広島が共同で行う。 中身は情報開示に縛りがかかっているためあすのイベント終了後にしか表に出ない。おそらく新聞も放送局も、SNSや自社ニュースで詳しく報じるだろう。 サッカー専用スタジアムが広島にはなかった。スポーツ王国の名が泣く。1993年のJリーグ誕生当初から、手を変え品を変え市民もサッカー関係者も「スタジアム、スタジアム」と声を上げ続けてきた。できるまでに30年
カープダイアリー第8507話「明大・宗山塁が中学時代にプロを夢見て通った細川スポーツの秘密…三次プロ野球伝続編Ⅺ」(2024年1月28日)
広陵野球部OBの進路が分かるサイトがネット上にある。それを見れば、100年を優に超える球史の裾野がいかに広いか、がわかる。 例えば門前眞佐人さん。1917年(大正6年)5月、三次で生まれ。その2年前、1915年に夏の全国高校野球の前身である全国中等学校優勝野球大会が始まっている。そういう時代だ。 広陵中では捕手として頭角を表し四番を打った。最上級となった1935年(昭和10年)、春の選抜に出場して、lこの年、大阪タイガース契約第1号選手としてプロ入りした。 実働16年で
カープダイアリー第8508話「明大・宗山塁の心のふるさと、石畳の太歳通りの細川スポーツ…三次プロ野球伝続編Ⅻ」(2024年1月29日)
三次の街のアイコン、天気予報画面などでお馴染みの赤い巴橋西詰から、西城川の流れと並行して続く石畳の三次本通り。途中で太歳通りに入りさらに進むと細川猛さんが営む「細川スポーツ事業部」がある。 カープを指揮したマーティ・ブラウン監督が、旧広島市民球場時代に訪ねた専法寺からも近い。細川猛さんの2歳年下の梵英心さんも気軽に訪ねてくる。幼少期には一緒に野球をして遊んだ仲だ。 広陵で「ショートで四番の二岡智宏」の凄さをその肌で感じ取った細川猛さん。志半ばでプロへの道を軌道修正した
カープダイアリー第8506話「今秋ドラフト注目の宗山塁、そのふるさと三良坂にも雪が積もる…三次プロ野球伝続編Ⅹ」(2024年1月27日)
朝刊各紙には被災地からセンバツに挑む日本航空石川のことが大きなスペースを割いて紹介された。涙を流すナインの写真も添えられた。神戸市出身の中村隆監督は小学生の時に阪神淡路大震災を経験した。そして「がんばろう神戸」。オリックスは震災の年、1995年からリーグ2連覇、そして96年は日本一になった。しかも地元、神戸で… 2009年10月、甚大な被害が出た神戸市新長田に鉄人28号の巨人モニュメントがお目見えした。神戸出身の漫画家で新長田にゆかりの深い横山光輝(よこやまみつてる)さんの
カープダイアリー第8504話「新井カープ2年目へ、よし見とけよ、と…よし、やっちゃるけえの、と…一、二軍振り分け」(2024年1月25日)
強い寒気の影響で広島県北では大雪に見舞われた地域が出た。広島市内も冷え込んだ。 だが、新井監督は熱かった。恒例の広島護国神社、必勝祈願。86人で参拝して40年ぶりの日本一を誓った。その40年間、ずっと球団の最高責任者として日本一を逃し続けている松田元オーナーの横で、だ。 だから、この目標設定が打倒かどうか、微妙ということになる。 午後からスタッフはマツダスタジアムでミーティングを行い、春季キャンプの方針などを確認し合った。一、二軍の振り分けもした。選手それぞれ、思うとこ