マガジンのカバー画像

浦和レッズ 記事まとめ

1,370
運営しているクリエイター

2022年10月の記事一覧

10月30日(1999年) 月イチ勝利ならず

 溺れる者はわらをもつかむ…。  ちょっと違うか。  勝てないときにサポーターが拠り所にするのは、新しい選手の起用や戦術の転換だったりするが、そういう直接チームにかかわること以外に、「都合の良いデータ」を探し出してそれを信じる、ということもやったりする。  浦和レッズがJ2に降格した1999シーズン。ア・デモス新監督を迎えて臨んだ2ndステージも開幕から4連敗と全く改善の兆しは見えなかった。第5節でセレッソ大阪にステージ初勝利を挙げたが、その後はまた4連敗。その全てが延長V

2022J1第33節 横浜F・マリノスvs浦和レッズ プレビュー 〜Last HOME GAME~

【プロローグ】 青人: 今季最後のホームゲームですね! 赤松: 早いもんだな。 青人: そして相手は浦和です。 赤松: うむ。 青人: 現在8位ですね。ACLではFINALに進んでいます。 赤松: ようやくメンバーが固定されて成熟してきた8月っていう時期的なめぐり合わせもあったかなと思うよ。リーグ戦でも点が取れていたしね。ただ、それがなかなか連勝に繋がらなかったよね。 青人: 一時期はACL圏内が狙える位置にもいましたよね。 赤松: だけど、目先の結果が出なか

初めてのプレビュー浦和レッズ戦編

こんにちは。たいまりです。 今回は浦和レッズ戦に向けたプレビューをやっていきたいと思います。 ジュビロとの試合から2週間空いて、ちょっとだけ時間があったので初めてのプレビューをやってみようと思いました。 おそらく見慣れた部分や文字などございますが、それらを足してもらって、浦和はこうやってくるのかな?程度に思っていただければ幸いです。 それではいきます。 今回は広島VS浦和と浦和VS鳥栖の2試合から見ていきます。 広島VS浦和まずは広島との試合から書いたメモをもとに考えてみ

キャスパー・ユンカーが導いた縁 [麺創房 無敵家レビュー]

秋があったのかなかったのか分からなくなるのはもはや日本の風物詩となってきたこの季節、皆様いかがお過ごしでしょうか。 J1リーグいよいよ最終盤を迎え、優勝争い、残留争い最後まで何も分からない状態ももはやJリーグ最大の魅力となっている。 そんな2022年のJリーグで印象的なトピックの1つとして挙げられるのご「ユンカーと無敵家」なのではないか。 今回は1人のフットボールプレイヤーと絶品ラーメン店の心温まるストーリーをご紹介します。 ユンカー無敵家に降臨事の発端は浦和レッズ所属のデ

文化シヤッター、優勝しました。【浦和レポVol.21】

こんにちは。 浦和レッズレポート担当者です😆 10月8日(土)~10日(月)に行われた、三連休のイベント「埼スタAutumn Festival」。 パンのフェスなどもやってたので、食べてみました🍞どのお店も美味しそうで、どこに行こうかうろうろしてたのでかなり時間がかかりました。 テントの後ろまで並んでいるところもあってとても賑やかでしたね❗️ 皆さんはどこのお店が好きですか❓ そして最終日にあったPKトーナメントですが、、、文化シヤッターチームで参戦しました⚽️

10月26日(1994年) いま思うと情けない話だが、当時は大喜びだった

 うれしい日だったのだが、少々情けないうれしさだ。  クイズ。  Jリーグオリジナル10、すなわち1993シーズンからJリーグにいたチームのうち、リーグ戦でレッズが初勝利を挙げるのが一番遅かったのはどこでしょう。  1994年10月26日(水)、浦和レッズは大宮サッカー場に名古屋グランパスエイトを迎えて、Jリーグ2ndステージ第15節を行い、1-1の末、PK勝ちした。これでようやくオリジナル10の相手9チームすべてからリーグ戦の勝利を挙げたことになる。  試合はレッズが

10月24日(2007年) 今季、また注目された、あの伝説

 永遠に語られるべき伝説と言っていい。  2007年10月24日(水)、浦和レッズは埼玉スタジアムに韓国の城南一和を迎えて、AFCチャンピオンズリーグのノックアウトステージ準決勝第2戦を行い、初めての決勝進出を果たした。  3週間前、アウェイで行われた雨中の第1戦は2-2の引き分け。前半1点を奪われたが、後半追いついて勝ち越し、その後同点とされるシーソーゲームだった。準々決勝では前年王者の全北現代モータースを2勝で破ったが、城南の力強さを感じる試合だった。  相手の動員

10月23日(2004年) バスツアーと中越地震

この日のバスツアーに私も参加した。チームとサポとが一体になって初のステージ優勝に邁進するのにぴったりの企画だった。企画し、添乗役となって各バスに分乗したサポの中心メンバーは、この日のために救命講習も受講したという。今でも頭が下がる思いだ。 集合場所の埼玉スタジアムの広場には、色・型とりどりのバスが集結していた。埼玉国体と重なり確保に苦労したというが(千葉県のナンバーのバスもあった)、それでもしっかり60台並んでいた。ツアーには旅行傷害保険も付き、揃いのTシャツやスポンサーか

10月22日(2011年) 就任2日で9試合ぶり勝利に導いた監督、応えた選手たち

 2011年10月22日、浦和レッズは日産スタジアムに乗り込み、横浜F・マリノスとJ1リーグ第30節を行い、2-1で勝利した。前節で降格圏の16位に後退し、指揮官がゼリコ・ペトロヴィッチ監督から堀孝史監督に替わった初戦だった。  日本中が苦しい思いをし、今でも苦しんでいる人たちがいる東日本大震災の年。レッズは残留争いにも苦しんだ。  監督がゼリコに替わり、「イニシアチブを持ち試合を支配する」という表現は同じでも、それまでのパスワークを主体にポゼッションを重視するサッカーから

浦和レッズ〜GKの歴史〜②

30年の歴史の中、様々な個性豊かな面々がレッズのゴールを守ってきた。 前回①ではチーム創設から在籍していた2人のキーパーを中心に、レッズが再昇格するまでの約10年を振り返った。 今回の②ではさらに約10年。 初タイトルからリーグ、ACL制覇…黄金期とも言えるチームを最後尾から支えたのは、また「2人」のキーパーだった。 ①2002年〜2010年 西部洋平 山岸範宏 都築龍太 加藤順大 黄金期を支えたハイレベルな2人 2002〜2010年 西部洋平     11試合 山岸

10月19日(2002年) 公式戦11試合連続無敗から8連敗へ

 2002年10月19日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに名古屋グランパスエイトを迎えて、J1リーグ2ndステージ第9節を行い、2-1で延長Vゴール勝ちした。後半、先制されたが、福田正博が同点ゴールを決めて延長へ。延長開始早々にエメルソンがVゴールを挙げた。  前年完成した埼玉スタジアム。レッズはこの年、ホーム開幕の第2節で使用し、ワールドカップ日韓大会が終わってからは使用頻度が増えていった。だが、そこでの成績はあまり芳しくなく、1stステージでは2戦して2敗。前年から通

10月18日(2017年) 勝ち方を知ったチームの決勝行き

 2017年10月18日(水)、浦和レッズは埼玉スタジアムに中国の上海上港を迎えて、AFCチャンピオンズリーグ2017の準決勝第2戦を行い、1-0で勝利した。3週間前にアウェイで行われた第1戦は1-1のドロー。2試合合計2-1でレッズの10年ぶりACL決勝進出が決まった。  上海上港は前年、G大阪と同じ組でグループステージを1位で勝ち上がり、ラウンド16ではFC東京を破っていたが、この2017年は様相が大きく変わっていた。監督はアンドレ・ビラス・ボアスが就任し、ブラジル代表

レッズ少し隠れた名選手たち22「土田尚史」(リクエスト)

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。 ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。 第22回は土田尚史選手 土田尚史 1967年2月1日 岡山県出身 GK 1989年(三菱)〜2000年 公式戦 183試合 背番号 1-22 前所属 大阪経済大学-三菱 移籍先 引退 大声で盛り立てたレッズ初代守護神 総評 シュートストップなどの技術はもちろん、スタンドまで届くコーチングで

10月16日(2013年) これが唯一、生で見た浦和レッズ・邦本のゴール

 2013年10月16日(水)、浦和レッズは浦和駒場スタジアムでモンテディオ山形と天皇杯全日本サッカー選手権3回戦を行い、2-3で敗れた。この試合でレッズユースの関根貴大(当時高3)と邦本宜裕(当時高1)が公式戦デビューし、邦本はゴールも挙げた。  この前週の土曜日、ナビスコカップ準決勝第2戦で川崎フロンターレに逆転勝ち。そしてこの天皇杯3回戦の3日後の土曜日はアウェイの鹿島戦を控えていた。強豪との試合に挟まれたJ2クラブとの対戦ということで、選手の疲労を考慮したのだろう。