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10月22日(2011年) 就任2日で9試合ぶり勝利に導いた監督、応えた選手たち

 2011年10月22日、浦和レッズは日産スタジアムに乗り込み、横浜F・マリノスとJ1リーグ第30節を行い、2-1で勝利した。前節で降格圏の16位に後退し、指揮官がゼリコ・ペトロヴィッチ監督から堀孝史監督に替わった初戦だった。

 日本中が苦しい思いをし、今でも苦しんでいる人たちがいる東日本大震災の年。レッズは残留争いにも苦しんだ。
 監督がゼリコに替わり、「イニシアチブを持ち試合を支配する」という表現は同じでも、それまでのパスワークを主体にポゼッションを重視するサッカーから、それぞれのポジションで個が力を発揮する戦術への移行は時間がかかった。また世代交代を進めた前年までに、リーグ優勝やACL優勝を牽引した選手が何人も引退したり、移籍したりしていた。

 震災の影響で、リーグ戦は第18節までが大幅に組み直されたが、その18試合でレッズは4勝9分け5敗。勝ちきれない試合が多く、勝ち点はなかなか積み上がらなかった。順位は12位でも降格圏の16位とは4ポイント差。乗っている氷がだんだん薄くなっていく怖さを味わっていた。
 さらにシーズン後半は、負けも増え、第21節から8試合連続勝ちがない状態で、ついに16位に後退してしまった。

 ここでクラブは監督交代を決断。浦和レッズユースの監督を務めていた堀孝史氏を起用し、堀監督と共にユースを指導していた天野賢一コーチもトップのコーチに異動させた。10月20日、横浜FM戦からわずか2日前の決定だった。
 当時、レッズユースに在籍していた野崎雅也(翌年トップに昇格)は「え、僕たちどうなっちゃうの」と不安を抱いたという。トップチームの事情で、育成にしわ寄せが行ったことは否定できない。

 堀監督は、降格圏のチームを残り5試合で残留させる、という難しいミッションをいきなり背負わされた。しかも就任初戦は2日後、首位に勝ち点7差の4位で優勝の可能性を残す横浜FMとのアウェイ戦だった。天野コーチや、ユース出身の宇賀神友弥、エスクデロ・セルヒオ、とりわけ高円宮杯第19回全日本ユース(U-18)選手権優勝メンバーである、高橋峻希、山田直輝、原口元気、濱田水輝、岡本拓也の存在は、心の支えになったのではないだろうか。

 日産スタジアムには非常に多くのレッズサポーターが詰めかけ、ウォーミングアップからすでに試合が始まっているかのような熱気が、いつも以上にスタンドから湧き上がっていた。
 しかし試合は開始4分に先制される。それまでなら、あきらめずに戦いながらも心は折れていたかもしれない。しかし、この日は違った。絶対に勝つという気迫があふれていたと思う。負けたら終わってしまう、というトーナメント戦のようだった。
 後半早々、直輝がエリア内で倒されPKを獲得。それを直輝自身が蹴って、いったんはGKに弾かれたが、いち早く詰めた柏木陽介がつないで、最後は原口が押し込む。

MDPから

 泥臭くもぎ取った1点は、リーグ戦6試合ぶりのゴール。これがスイッチとなってレッズが攻勢を取り60分、FKのクイックリスタートから梅崎司が勝ち越しゴールを決めた。

MDPから

 9試合ぶりの勝利。まだまだ残留が確定したわけではなかったが、ここまでチームが一丸となって勝利に向かった試合は久しぶりに見た気がしたし、この戦いを続けていけば残留できるに違いないと思った。
 試合終了の笛が鳴ったときの堀監督の表情。抱き合う選手とスタッフ。ゴール裏からの「We are REDS!」。熱くなった自分の胸。
 すべてが忘れられない。

 さて、みなさんは2011年10月22日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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