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浦和レッズ 記事まとめ

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2022年7月の記事一覧

シーチケゴール裏民が埼スタにご新規さんを連れて行った話

「浦和レッズの良さをもっとたくさんの人に知ってほしい」 多分に漏れず私も皆さんと同じ想いを持っています。今回は、ご新規さんを誘ってから、試合当日までのことを書きました。少しでも参考になれば。 筆者属性 ・20代男性 ・シーチケ4年目、北ゴール裏で観戦 ご新規さん属性 ・20代女性 ・サッカー初観戦 ・スポーツ観戦経験ほとんどなし ・TVでやっていればサッカーの代表戦はちょっと見る ・A代表の選手は割とすらすら10人弱言える ご一緒した試合 2022年7月30日(

7月31日(1993年) 大敗のあとPK勝ち、五分のスタートに希望

 Jリーグ元年。浦和レッズは最初の大会である1stステージを3勝15敗の最下位で終わった。しかも第16節には、ホームの駒場競技場で鹿島アントラーズに敗れ、相手にステージ優勝を決められる、という屈辱も味わった。  前年のナビスコカップ予選リーグ5位、天皇杯ベスト4という成績から考えれば、優勝候補とは言えなくても中位で終わってもおかしくないと思っていた。  主力として獲得した2人のアルゼンチン選手が絶不調、相次ぐ選手のケガなどが不振の直接的な要因だと思われるが、当初は専用の練習場

サッカーファンは怖いけど、熱量のすごさは他に類を見ないという話

浦和レッズの罰金の件と、横断幕のことでファンと交流した今日ツイッターでサッカーファンの人と話す機会があった。 事の発端は浦和レッズのサポーターが新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン違反を繰り返したことからJリーグに2000万円の罰金とけん責処分を科されていたことがあり、処分後初の試合でJリーグに抗議の横断幕を出したということがあった。 どこの業界にも態度の悪いファンは居る。相撲ファンでもガイドラインがあるのに指笛を吹いて顰蹙を買う人は少なからず居て、係員に言ってもSN

7月30日(2011年) 苦しかったこの年に2タテさせてもらいました

 きょう、この話題を取り上げられるとは、面白い。 レッズ対川崎、対戦の歴史  浦和レッズの、川崎フロンターレとのJ1リーグ通算対戦成績は11勝9分け15敗と、4つ負け越している。特にここ3シーズン半は2分け5敗と勝ちがない。4つの負け越しは2019年以降に生まれたものだ。  35試合の通算対戦成績を並べてみても、FC東京とのそれのように、勝てない時期、負けない時期が顕著になっているわけではない。しかしシーズンごとに見ていくと、ちょっとだけ興味深いことがある。ちょっとだけだ

7月29日(2006年) あらためて17,000人

 この話は初出ではない。別の日のときに詳しく書きすぎてしまったからだ。  でもやっぱりこの日に記しておかないといけないと思うので、あらためて、なるべくダブらないように書こう。  2006年7月29日(2006年)、浦和レッズは小瀬スポーツ公園陸上競技場に乗り込んで、ヴァンフォーレ甲府とJ1リーグ第16節を行い、1-1で引き分けた。2000年、J2時代に二度訪れてから6年ぶりの訪問だった。そして次にこのスタジアムを訪れたのは、2014年のナビスコカップだった。  試合は先制

2000万円について考える

再三の声出しと、それを防げなかったとして制裁金2000万円が決定した。 これは必然だったのか? 防げなかったのか? いや、防ごうとしたのか? 色々考えてみたい。 1)Jリーグからの制裁について ①制裁を行ったのは妥当だったか まず、制裁をすること自体は妥当だと思う。 試合観戦にあたっての禁止行為を設定し、その違反についてクラブに警告し、十分な対策、処置を行わなかったとして制裁。流れ自体は自然だ。 以下①についての疑問点 声出しを禁止にしてとりあえず有観客を優先させたの

奪われたのは本当に2000万円だけ?

 26日、PSGの日本ツアーが一通りの工程を終えたタイミングで、Jリーグは度重なる声出し応援を行ってきた浦和に対する処分として、2000万円の罰金とけん責の処分を科した。  今回の件については思うところが多すぎるので概要に関しては添付のファイルを参照していただきたい。  前提として、この処分自体に異論を持っているわけではないというところは断っておきたい。過去最高額とはいえ罰金につながるエビデンスは十分出揃っており、それに口を出したところで何かにつながるとも到底思えない。部外

7月27日(1994年) ギド、ウーベの加入でカシマスタジアムで初勝利

 1994年7月27日(水)、浦和レッズはカシマサッカースタジアムに乗り込んで、鹿島アントラーズとJリーグヤマザキナビスコカップの1回戦を行い、2-1で勝利した。初めてのカシマスタジアムでの勝利に、レッズサポーターは沸きに沸いた。 ホームorアウェイ1試合制の一発トーナメント  この年のナビスコカップはJリーグ12チームと、Jリーグ準会員のセレッソ大阪と柏レイソルを加えた14チームが一発トーナメントで戦う方式。1回戦から決勝まですべて1試合制で、1回戦、2回戦の会場はどち

三年計画の定点観測(2022年7月度月報)

◆前書き 昨年も書いてきた1か月程度の間隔で試合内容や会見のコメントなどを拾いながらクラブが提示した三年計画、コンセプトと照らし合わせて考えていく「定点観測」シリーズを2022シーズンも行います。 ◆7月の戦績今回は7月の月報と言いながら、7/16の清水戦で一旦中断期間に入ったことと、後述しますが7/30の川崎戦からACL準決勝まで連戦になっていることを鑑みて、PSG戦までを見て行きます。 2月の対戦は終始浦和ペースだったものの、岩尾の退場、その直後に中盤が1人いなくなっ

7月25日(2015年) まさかの連敗で年間勝ち点2位に後退

 大会のレギュレーションというのは、それを実践的に理解していなければ、思わぬ落とし穴があるかもしれない。  2015年7月25日(土)、浦和レッズはパロマ瑞穂スタジアムに乗り込んで、名古屋グランパスとJ1リーグ2ndステージ第4節を行って、2-1で敗れた。前節、サンフレッチェ広島にシーズン初黒星を喫したばかりで、まさかの連敗となった。  試合は1-1で迎えた22分、森脇良太が名古屋の永井謙佑と競り合って倒したプレーを「得点機会阻止」に取られ一発退場。残り時間を10人で戦った

7月24日(2004年) 前年の再現。引き分け狙いの相手に勝つレッズ

 ふたたび、引き分け狙いの相手との話。2004年のヤマザキナビスコカップ予選リーグ突破をめぐるジェフユナイテッド市原との戦いだ。 またナビ杯予選で崖っぷち  まず7月17日の話からしなければならない。  当時の状況を述べると、この予選リーグはラスト2試合、第5節と6節は市原との連戦が組まれていた。第4節を終えての順位表はこのとおり。  浦和レッズは清水エスパルスと勝ち点で並び2位争いをしている格好だが、残り2試合が首位の市原と直接対決だから逆転の可能性はある。ただし得失

レッズ少し隠れた名選手たち19「室井市衛」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。 ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。 第19回目は室井市衛選手 室井市衛 1974年6月22日 埼玉県さいたま市出身 DF 2000〜2004 公式戦 94試合4得点 背番号 21-5 前所属 鹿島 移籍先 神戸 対人プレーに抜群の強さを見せた名DF 抜群の対人の強さ、ヘディングの強さで相手を完封するセーターバック。キープレイ

7月23日(2011年) あの人の力で勝てた試合だと思う

 2011年7月23日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムにヴァンフォーレ甲府を迎えて、J1リーグ第6節を行い、2-0で勝利した。リーグ戦の後半開始にあたる18試合目だった。この日、スタジアムの北門付近に、17日に亡くなられた森孝慈さんへの献花台が設けられていた。  森さんの告別式は、この前日22日に行われた。ご冥福を祈るほかに、いろいろ語りかけてしまったように思う。内容は全部覚えていないが、一つ記憶にあるのは、 「森さん、これからもレッズをよろしくお願いします」 「いや、

7月22日(1995年) 何物にも代えがたい経験と共に1stステージが終了

 大宮伝説の締めをしたい。  1995年7月22日(土)、浦和レッズは大宮サッカー場に横浜フリューゲルスを迎えて、Jリーグ1stステージ第26節を行い、PK戦で勝利した。前年の8月から使用していた大宮サッカー場での最後のホームゲームだった。  3日前の水曜日、ヴェルディ川崎とアウェイで第25節を行い、敗れた。先制されて追い付き延長に突入という、これまでの“必勝パターン”だったが延長前半、Vゴールを決められたものだ。  2位のヴェルディ対3位のレッズという対戦で、共にステ