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浦和レッズ 記事まとめ

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2022年3月の記事一覧

【あの頃、わたしはサッカーに夢中だった】第4回スープ作家・有賀薫さん

サッカーとの思い出は人それぞれ。 忘れられない試合のこと、当たり前に見ていた風景、その時感じたことのひとつひとつにドラマがあります。この企画では、各界で活躍する方にご自身のサッカーとの繋がりをお話しいただくことで、さまざまな角度から見える「サッカーの景色」をお伝えしていきます。 今回、お話を伺ったのはスープ作家の有賀薫さん。 さいたま市在住で、20年近く浦和レッズを応援している有賀さんに、これまでのサッカーヒストリーを伺いました。 夫と出会って、サッカーに出合った。夫に誘

3月31日(2001年) J1復帰初勝利が自分の誕生日と重なった

 2001年3月31日(土)。浦和レッズは駒場スタジアムにアビスパ福岡を迎え、Jリーグ第3節を行った。  J2での苦しい闘いを経てJ1に復帰したこの年、大望を持って開幕を迎えたが、初戦はアウェイで名古屋グランパスエイトに完敗(3月10日、0-2)。第2節はホーム開幕をスタジアム全体のビジュアルで盛り上げたが、セレッソ大阪と引き分け(3月17日、2-2)。まだ勝ちがなかった。 トゥットが初ゴール、福田が追加点 1週あいて、31日の第3節はまたホーム。福岡はこの前々年レッズが

三年計画の定点観測(2022年J1第4節~J1第5節)

◆前書き 昨年も書いてきた1か月程度の間隔で試合内容や会見のコメントなどを拾いながらクラブが提示した三年計画、コンセプトと照らし合わせて考えていく「定点観測」シリーズを2022シーズンも行います。 ◆3月の戦績 3/2 (Wed) J1 第10節 (A) vs 川崎 ●1-2 3/6 (Sun) J1 第3節 (H) vs 湘南 ○2-0 3/13 (Sun) J1 第4節 (A) vs 鳥栖 ●0-1 3/19 (Sat) J1 第5節 (H) vs 磐田 ○4-1 3/

3月30日(1996年)鬼門スタジアム初勝利で“破竹”の4連勝

 1996年年3月30日(土)。浦和レッズはジュビロ磐田スタジアム(現ヤマハスタジアム)に乗り込み、ジュビロ磐田とJリーグ第4節を行った。 過去4戦未勝利の磐田スタジアム ジュビロ磐田はJリーグスタートより1年遅れの1994年に昇格したチーム。レッズは、前年までの2シーズンでリーグ戦3勝5敗とやや分が悪いくらいの関係だったが、アウェイの磐田スタジアムでは4戦全敗と惨憺たる成績だった。当時の鬼門と言ってよかった。  僕の個人的な思い出としては、磐田の昇格前の93年、ヤマザキナ

3月29日(1995年)居られなかったことが残念、28人のPK戦

 まったく、この試合に行っていないとは、なんて間が悪い奴だ。いや、自分のこと。  1995年3月29日(水)。浦和レッズは国立競技場をホームに、名古屋グランパスエイトを迎えてJリーグ第4節を行った。  ホルガー・オジェック新監督を迎えてスタートしたシーズン。開幕戦をアウェイで落としたが、第2節はホームで勝利。アウェイの第3節は敗れ、1勝2敗でこの名古屋戦を迎えた。 “弱小仲間”だったが相性最悪の名古屋 1993年と94年、連続年間最下位という屈辱を味わったレッズだが、94

3月28日(1998年) 小野伸二の存在で毎試合期待に胸を躍らせていたころ

 1998年3月28日(土)。浦和レッズは駒場スタジアムにセレッソ大阪を迎えて、Jリーグ第3節を行った。 1998年と言えば小野伸二  この年は、原博実監督が就任した年でもあるが、「キヨショーのオノ」こと小野伸二がレッズに新加入した年、と言った方がいいかもしれない。小野はこの年の開幕のジェフ市原戦からトップ下で先発し、第2節のアウェイ横浜フリューゲルス戦で早くもJリーグ初ゴールを挙げた。このころ、MDPの表紙はシーズン最初の号は監督という習慣があり、開幕の市原戦がそれだっ

3月27日(1999年)ルール、政治、判定、チーム内の関係…が絡み合った退場

 1999年3月27日(土)。浦和レッズは広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)でサンフレッチェ広島とJリーグ第4節を行った。  この試合を選んだ理由の一つは、3月27日に試合が行われたのは1999年と2010年の2回だけで、1999年の方がインパクトが強かったということ。  もう一つは、浦和レッズが降格した1999年、あの試合がこうだったら、というタラレバがいっぱいあるが、その中の一つであるということ。  そしてレッズの歴史ということを越えて、刻んでおくべきことの

事前分析の勝利 - 2022 J1 第5節 浦和レッズ vs ジュビロ磐田

この記事でわかること 事前分析で狙った磐田の弱点 選択肢を増やす浦和の可変配置 DMKと犬飼の現状 岩尾をどう組み込むか こちらに掲載済みの記事です!浦和レッズサポーター間での議論活性化を目標に戦術を解説するマッチレビュー。今回はJ1第5節、ジュビロ磐田戦です。 前節は鬼門・鳥栖で、半ばマンマークのようなハイプレスを受けて敗戦した浦和。 ホームに昇格組の磐田を迎えた今節は、試合冒頭から試合を支配し、危なげなく勝利しました。 試合開始直後から主導権を握り、ゴール

この「タラレバ」は恐ろしい

NTT関東は浦和のチーム Jリーグ大宮アルディージャの前身は、知っての通りNTT関東サッカー部。  関東という名称だが、徐々に選手を浦和市にあるNTT埼玉支社に集めて、チームを強化していった。  NTT関東のサッカー部はたしか、NTT埼玉支社の広報部が管轄していたと思う。サッカー部の選手で広報部に籍を置く人もいた。  県内の大企業であるNTT埼玉支社は、埼玉新聞社の大広告主でもあったから、その窓口である広報部との付き合いは深かった。 ホームスタジアムは駒場 僕は、埼玉新聞

3月24日(2012年) いつまでも記憶に残る大切な思い出

この試合やこの札幌遠征はとてもよく覚えています。それは…、まず、試合から。 原口が腿裏を痛めてメンバーから外れていたので、スタメンに抜擢されたのがユース出身ルーキーの矢島でした。 開始早々にビックチャンスを迎え、あの決定機を決めていれば、彼のミシャ体制でのその後のサッカー人生もかなり変わったのではないかなと、今となっては思う場面でした。 矢島は市内小学校(北浦和小)出身だったことや担任した先生が友達だったこともあって、大いに期待していました。でも、レンタル先の岡山やオリンピ

3月24日(2012年) 今は札幌の監督、ミシャが札幌で2勝目を挙げた

4年ぶりの対戦、4度目の札幌ドーム 2012年3月24日(土)。浦和レッズは札幌ドームで、4年ぶりにJ1に昇格したコンサドーレ札幌とJリーグ第3節を行った。  ちなみに3月24日に公式戦があったのは30年間でこの2012年だけだ。  レッズと札幌は共にJ2時代の2000シーズン、しのぎを削るスタートを切ったが徐々に差がつき、札幌が悠々とJ1昇格を決めたのに対し、レッズは薄氷を踏む思いの最終節昇格だった。  しかし2001年以降は、札幌がJ1でプレーした3シーズン(01~02

【浦和レッズビジネスクラブ】愛するクラブを応援しつつ、会社経営する話

こんにちは!三宅芽実(@memitech)です。 浦和サポのみなさん、土曜はナイス勝利でしたねーーー!!!北欧三銃士!しかももう1人来そうな気配!オランダって北欧だっけ?と調べた人は私だけではないはず…(オランダは北欧ではない) さて、今回は「浦和レッズビジネスクラブ(以下RBC)」について書きたいと思います。 RBCって?RBCとは、ざっくりいうと法人会員です。シーズンチケット(招待券)のほか、法人ならではの特典が付いてきます。金額ごとにP、S、A、B、Cと5つのコース

3月23日(2014年) 無観客試合。その前後に僕が考えたこと

 2014年3月23日(日)。浦和レッズは清水エスパルスとJリーグ第4節を行った。  スタンドに誰もいない埼玉スタジアムで。 サポーターは試合の一部、を痛感 3月8日(土)、コンコースに向けて「JAPANESE ONLY」と書かれたダンマクが掲出され、クラブがそれを長時間放置したことの責任を問われ、Jリーグから無観客試合の開催を命じられた。その試合がこの清水戦だ。  試合は1-1のドロー。前半、清水に先制されたが後半31分、この試合がJリーグデビュー戦となった関根貴大の右

3月21日(2007年)初めての海外遠征で感じたアウェー

ACL初のアウェーは卒業旅行も兼ねて参戦した。 と言っても大学の友人とではなく、いつもの仲間達とだった。 試合当日はかなり早い時間からスタジアムに浦和サポーターが集結し、太鼓が到着するとそのままコールやチャントの大合唱となった。 結果的に盛大な決起集会となった。 その様子を見て現地のスタジアムスタッフが焦ったのか予定より1時間以上早く開門した覚えがある。 ゴール裏は真っ赤に染まり、いつものアウェーの雰囲気が作れたと思っていた…。 国内ではアウェーと言っても浦和のゴール裏