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#2 サインバルタ

この文章で伝えたいことなんて、何もない。
強いてあるとすればそれは、僕がこの世に存在していて、この文章を書いているという事実がここにある、ということぐらいだ。
さっきも言ったが、この文章を書くことによって、僕はこの世界に、今この一瞬においては、確かに此処に存在している。
あなたの親、友達、カフェで隣に座っている人、街ですれ違う無数の人と同様、僕も同じように存在している。
そして僕が死んでも、この文章がこの世に存在する限り、そしてそれを誰かが読む限り、僕は生き続ける

漠然とした悲しみや苦しみ、この得体の知れないとてつもなく大きい闇を、仕事から帰宅しパッと電気をつけるように消し去りたい。
でも、
多分それは無理だと思う。
僕が悲しいとか苦しいとかを思ってしまう以上は、僕は悲しいし、苦しいのだ。


僕が今出来ることは、
これらの感情が今以上に大きくならないようにそっと、
優しくなだめて、
側に置いておくことくらいだ。

悲しみは優しい。真夜中の風みたいに、優しく頬を撫でてくれる。


悲しみは怖い。
一瞬のうちに目の前を真っ暗にして、この世界を全部嫌いなものに変えてしまう。


悲しみは優しくて怖くて、たまに美しい。


抽象的な言葉というのは厄介だ。
数字で示せないから基準がない。
僕の悲しみと、あの子の悲しみが、どのくらい違うものなのかを分からなくさせる。

子供が迷子になった時の辛さも、
大災害が起きた後の辛さも、
どちらが辛いかなんて比べられない

それと同じで、
宝くじで一億円当たった時の喜びも、
僕が一日楽しく過ごせた時の喜びも、
どちらが嬉しいかなんて比べられない


僕は、
僕が今感じているこの悲しみが、
他の人と比べてどのくらい悲しいものなのか一生かけても分からない。

毎日だるいと言っていた友達と肩を並べて、
毎日だるいと言っていた自分は、
友達と同じように笑っていたはずなのに、
もしかしたらその友達が感じていたのとは全然違うように感じていたのだろうか。

いつの間にか、ずっとだるいのは自分だけで、
それがいつしかずっと悲しい自分になってしまったように思うと、
また少し、
泣きそうになる。

僕は、
僕のままで生きたい。
でも、
今の僕が僕のままで生きると、きっと僕は、ずっと悲しい。
もしかしたら、
人生のレッドカードはとっくの昔に出されていて、
僕はそれを無視してずっと一人でプレーしていたのかも知れない。

オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」に出てくるソーマは、
どんな憂鬱な気分でも吹き飛ばしてくれる最強の薬だ。
みんな辛い事があるとソーマを飲む。
そしてまたいつも通り楽しい毎日を送る。
主人公以外みんなソーマを飲んでいる。
主人公がソーマを飲まないことをみんなは「野蛮だ」という。
野蛮というのは作中では原人的な意味合いで用いられる。最新の技術を使わないなんて野蛮だ。そういう意味で捉えられる。

ちなみに僕は、ウォシュレットは使わない派だ。
使わない派、というよりは、感触が気持ち悪くて使えない。
でもそのうち「ウォシュレット使わないなんて、野蛮!」と言われそうだ。
そんな時代が、もうそこまで来ている。

僕が明日から飲むことになっている抗精神病薬は「サインバルタ」という薬だ。

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