百姓のお話

こんばんは、浜カツヲです


今日は百姓についてのお話をしたいと思います。

百姓(ひゃくしょう)とは、農業従事者の事を指す語。農業や農作業をする動詞として用いられる場合もある。そのほか、江戸時代における本百姓のことや、あかぬけない人や情趣を解さない人に対する侮蔑語でもある。



「百姓」という言葉に聞き覚えのある人ない人いると思います




勿論浜カツヲはありません





それはなぜか?





記憶の隅



寄りの隅




タンス預金の更に奥の方に記憶を追いやって


500mlのストロングZEROで真夜中の首都高並に記憶を飛ばし自分の脳みそ






つまりブレインコントロール能力に長けているからであります





自分の生い立ち、過去、黒歴史、承認欲求を満たす為だけの不純な動機、大義名分のない計画、あなた無しじゃ居られない東京






過ぎた事は全て人生という名の短編映画のほんの注釈に過ぎません




未来の事ばかりに気を取られ



今、という1番重要な「楽しめる」という



人生の遍歴において最も貴重な機会を逃し続け


気付けば半永久的に満たされないオールドハングリーが誕生する未来までは想像もつかないと思います








ピンチはチャンス





生きる為に何かを犠牲にして何かを得る


何かとは何か





8.5王子在住のYung kohhがあどけない表情でこう呟きます





「時間やねぇ」




浜カツヲは貧乏なんて気にしません

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