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日記「…俺はカットシーで行く!」

とうとう4月。もう誕生月じゃなくなってしまった。しまったしまった。うかうかしていた間に誕生月を逃してしまった。

新しい月に入ったということは、家計簿が更新されるということだ。3月の娯楽費はとっくに上限に達していた。そのメーターがリセットされて、新たに設定された上限までお金が使えるようになる。3月の中旬を過ぎると(早く次の月にならないかな。出費がしたいよ)と思い続けるが、いざ月を跨ぐと、不思議とそんな切羽詰まったことは思わない。ゆとりがある。心に。自分で設定したお金を使える枠にまだまだ余裕があるからこそ、もっと後でいいやって考えることができる。

あんなにニンジャスレイヤーを読みたいと思っていたのに、出費に余裕があると(まあまだその娯楽は取っておいていいか)と思う。noteの性質上月頭に課金した方が絶対得なのに、後でいいでしょと思う。それもこれもまだ使える額にゆとりがあるからだ。

月のどのタイミングでもこういう思考ができればいいのに。月の後半はずっとお金のことに執着してしまっている。もっと経済的ゆとりがあれば…。いやゆとりがあったらまた規模の大きい支出のことを考えて同じことになるのかな。根本を叩き直さないとね。心の思考法を。



俺ってもう二十代後半。何の展望もなく。収入も無く、親の扶養で。交友関係も狭く、母にしか心を開けないで。心の問題。お金の問題。ダブルで抱えてる。心の問題の方は一旦重度の病気にまで至った上で今寛解になりつつある。お金の問題は解決していない。

社会的地位もなく、技能もなく、就職もしておらず、パートナーも異性の友達もいない(訳注:同性の友達もだ)。

知識も段々時代遅れになっていっており、新しいものを吸収する力が落ちている。生まれた時からインターネットがあったお陰でまだスマホとか使ってるし様々なソフトもサービスも人並に使いこなしているけど、仮にもう20年生まれるのが遅かったら全てに乗り遅れている。世の中の全てに。

もう一度IT革命のような技術革新があったなら、今までと地続きでないことが起こったなら、わたしは振り落とされるだろう。このままでは。好きコンテンツが新しいそれを取り入れた時初めて参入できるかも。
それくらい吸収力が落ちているのを感じる。思考も前ほどできないし。



TRPGの会に参加したいな。そこで友達を増やしたい。
わたしは全員が初対面同士の状態から友好関係を築くのはなんとかできるが、TRPGの会のような既存のコミュニティに入っていくのが特に苦手だ。怖い。でもTRPGやりたいし。対面で。ストレンジャー・シングス見て憧れた。そんな関係性に。


英語を話したい。でも英語を話すためのポジションに就くのはちょっと嫌だ。
今はバ先でわたしが唯一外国人観光客とコミュニケーションができる存在だ。そこにわたしの存在意義が感じられて大変良い。

これは英語でコミュニケーションを取る義務は無くて、能力のオプションとして英語が話せることが有利に働いている状態。これは良い。
でも英語を話すための、例えば通訳のようなポジションに就くと、その技能でありがたがられることはない。英語が話せることへの優越感に浸ることもできない。
何故なら通訳として呼ばれたらそれをするのが仕事であり当たり前だし、金銭的契約を結んでいる以上訳すこっちと訳してもらうあっちは対等だから。
多言語ペラぺ~ラになりたいけど、それが当然でしょってポジションに就くのはなんかヤだ。


バ先で英語を話すのが楽しいのは、バ先の面々を助けてる感覚があるからだったり、英語を話せないみんな⇔話せるわたしという対比でみんなより一つ上に立った感覚があるからだったり(浅ましい感覚だ)、それでいて「いえいえ偶さか話せるのでこの役を買って出たまでですよ~。別にわたしなんてすごくないよ~」というA.C.T.ができるからだ。

まっこと人間の格の低いことよのう!その状況でしか自分を肯定できないが為により上位のスキルとポジションを得ることを怖がっているのだから!
ハ~自虐も気持ちいい。


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