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低浮上、そして息継ぎ。

どうやら、深いところまで潜ってしまっていたようだ。

現状をどうにかしようと、もがくほど、身体には力が入っていた。強張り、収縮した筋肉は鉛のように重くなり、私は、いとも簡単に、深くへ潜っていくことができた。

そして、気づけばまわりの世界は、どこまでも暗く、先は見えなかった。

その暗然たる世界は、たまらなく怖い。

不安から「どうにかしなきゃ」と、身体に力をいれ続けて足掻いた。もがけば、もがくほど、身体は、本来の、そのしなやかな美しさを失い、一つの見苦しい、硬直した塊になっていった。そして、より深く、光の届かない世界に沈んでいった。最初は、潜っていたのかもしれないが、途中からは、誰がどう見ても、沈んでいった。しかし、本人は、その違いに気づくことすらできない。

むしろ、こんなに力を入れて、現状を変えようとしているのだから、世界が変わらないわけがないと信じている。しかし、世界も自分も他人も何も変わらない。暗い景色だけが続き、なにも見えない。なぜ、何も変わらないのだろうかと、恨めしい気持ちだけが募る。

その毎日が苦しい。しかし、どうすればいいのかわからない。すでに、頑張っているからだ。

これは全て、私がここ2ヶ月間で、感じたことを、そのまま言葉にしたものだ。

はい。要するに、ここ最近、私は、心も身体もすこぶる調子が悪かった。

身体に至っては、3週間くらい前から、急に腰に異常な痛みが出るようになった。日に日に、痛みは強くなり、先日、起き上がるのも歩くのも辛くなっていた。

そこではじめて、危機に気づいて、医者や東洋医学の先生に相談したりした。

私は、このnoteには、できるなら楽しいことだけ書いていたいのだが、最近楽しいと感じることが全くなかった。なので、ずっと書けなかった。

そして、3日前、やっと気付いたのだ。

私は、遠くへ行きたかったことに。

べつに、どこかに旅をしたいとかではない。

私は、深く潜るのではなく、ただ、遠くへ行きたかったのだ。とにかく、自分のもつ能力で、遠くへ行きたかったのだ。

それなのに、なにを勘違いしたのか、身体を強張らせて、沈む努力に費やした2ヶ月であった。自分のやりたいことと、違う努力なのだから、それは苦しくて当然なはずだ。

遠くへ行こうと思ったら、沈んでる場合ではないことに気づいた。息継ぎをしなくてはならない。まずは、今いる、陰鬱で暗い底から、光の当たる水面に出るべきなのだ。

そのためには、身体の力を抜くしかない。精神的に、身体の力を抜くというのは、すなわち、頑張ることをやめる。何もしない。ありのまま受け入れる。これである。

すると、私の身体は、ゆっくりと、浮上をはじめた。

心の、低浮上である。

すると、もちろん薬のおかげもあるだろうが、腰の違和感も、歩いて、痛むほどではなくなった。

身体の力を抜くというのは、「やらなきゃいけないことなんてない」と心から、そう思うことだけだった。

これは「全部どうでもいい」という悲嘆とはまた違う。ただ、「それでもいい」と自分に思えることに、他ならない。

昨日も、『under5』という5年目以下の賞レースの3回戦で落ちた。ただ、本当に心から「それでもいい」と思っている。

というか、もう、自分の身体が調子悪いのに、人のこと笑わせようとか、勝ちたいとか、頑張ろうとか、思えるほど、私は人間ができてない。

そして、それを受け入れる。もともと、ダメな人間だ。その自分で良かったはずだ。

私は、まだ低浮上の最中かもしれない。水面から、顔を出して肺が大きく膨らむほどの呼吸をしていないかもしれない。

とにかく「それでもいい」と思う。

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