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頑張る意味はある?ということを高校生合唱部時代から振りかえってみる。

高校の部活動の思い出のお話。

合唱部で、先輩は全国に出る結構強豪校でした。

コンクールに出て勝ち進み全国へ行くことはみんなの目標でした。今年こそは全国へいくぞとみんな燃えていました。

コンクールには人数制限があって、私の部は少しオーバーしていました。

1年生の頃は歌い方も全然知らないままオーディションを受けたので落ちました。まあいいんです。1年かけてみんなの何倍も練習をしていけば来年はきっと大丈夫。すごく楽観的でした。1年かけてずっとずっと練習して、進学校だったのに勉強もせず合唱合唱な1年間でした。

2年生  課題曲・自由曲の2曲あって、2年生では2曲とも名前を呼ばれて当たり前でした。自由曲で名前が呼ばれて、
課題曲でも私の名前が呼ばれ

なかった!。 当時は人生をかける勢いで臨んでいたためすごくショックで一晩泣きました。
自分よりずっと声も良いし芯の強い歌の上手な後輩がたくさん入ってきて、すごく悔しくて自分が惨めで情けなかったのを覚えています。

それでも合唱は大好きだったから、去年より進歩した自分の声に自信をもって頑張ろうと心に誓いました。

コンクールは夏休みにあるので、夏休みはずっと合唱でした。私は、毎日早く行って居残り練習を続けました。みんなが課題曲を練習している時間は腹筋や自由曲を練習して、誰よりも上手に与えられた曲を歌おうと毎日頑張りました。

顧問の先生から「あなたはここの部分は歌わないで」と言われました。合唱の世界ではよくあることだと思うのですが、私はすごく寂しくなりました。自分の声は必要ないと言われた気がして、合唱が嫌いになりました。

何度かさぼろうと思いました。が、朝起きたら準備されてあるあたたかい母のお弁当に何度も何度も励まされて毎朝部活へ向かいました。自由曲しか歌えない娘でごめんね精一杯頑張るからねとコンクールに挑みました。


立てない舞台も、歌えない部分もあったけど、でも舞台に立ててみんなで歌うっていいもんだなあと思います。そう思うようにしようと思えたのは、両親が聴きに来てくれて私が舞台で一生懸命歌ってたねと言ってくれたからです。私すごく単純です。

私は1年前の目標を達成することはできなかったけれど、それに向けて努力した毎日が私の高校生活の1番濃い思い出の1つで、宝物のような毎日です。練習しなかったら頑張った日の帰り道にみたきれいな星は見つけられなかったし、朝の涼しい夏を知らなかったと思います。

意味ないことはないんですね
いつか、なにかしらの形で形にはなることがわかりました。

そんなjkなお話でした
ご自愛くださいませ

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