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どうしてできる人になりたかったのか、考えてみる

こんにちは。
今日は雨です。寒くて、もう冬ですね。
11月もあと1週間ぐらいで終わります。

適応障害になって色々と物事を考える機会が多くなりました。
その中で気づいたことの一つ、
私は「仕事ができる人になりたい」という気持ちがとてもとても強い。
今日はこのことについて書いていきたいと思います。

過去に遡りますが、私は学生時代、いわゆる「優等生」。
特に中学生の時には勉強成績トップ、部活動でもそれなりの成績を残していました。
友人からは、「本当何でもできるよね」と言われることが多かったです。
もちろん、何でもできるなんて言われたら私は嬉しい。

社会人になると、仕事中心の生活になり、仕事を私からとったら何が残るのか・・・というような生活をしていました。
学生時代優等生だったので、もちろん目指すはバリバリのキャリアウーマン。仕事ができるようになって、キラキラの社会人ライフを送りたいと思ってました。
努力が得意だったので、それなりに仕事も頑張り、休みの日も研修に出たり、家に帰った後も仕事でどうすれば良かったのか考えていました。
私の頭の中ほとんどが仕事に占められていました。

転職した経験もありますが、やはり仕事は人から評価されるものになります。
働いている時には期末の人事評価だけではなく、普段の上司の顔色、同僚から自分がどう見られているかを過度に気にしていました。
もちろん、褒められたらとても嬉しいけど、周りの人が少しでも私のことについて何か言っていると気になる・・・
いや、気になるレベルではなく、心をハンマーでなぐられたような感じ。
そして、永遠に頭の中で何が悪かったのかぐるぐると考え続ける・・・

私はこれまでこの思考は普段通りの私だと思ってましたが、
適応障害になり休職し、過去を振り返ると、
当時の私は自分の評価を他者に委ねすぎていることが分かりました。
「仕事ができる=自分に価値がある」になっていることに気づきました。
言い換えると、「仕事ができない=自分に価値がない」
になるんです。

今考えると、それっておかしいですよね。
仕事ができなくても、皆生きているだけで価値があると思うんです。
それに人の価値を判断するのは、仕事だけではない。
私自身、自分の価値を仕事だけに委ねすぎていたことを反省。

復職するか迷っていた時、皆のように働けないのが嫌で悔しいと思ってました。
でも、今ではもう以前のようには働けないことは分かっているし、
仕事がみんなよりもできなくても、それは仕方ないし、
仕事の評価だけが自分の価値評価にはならないことをもう知っています。

だから、復職した時にはゆっくり自分のペースで仕事ができればなと思います。
そして、仕事以外のことの楽しみを今のうちに作っておきたいな。


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