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noteデビュー

電子書籍の方が良い。
基本的に天邪鬼と言うか、とにかく議論がしたいので、読書は紙派という人が現れたら、電子書籍派として意見していく。
ちょっぴりでも賢い人であればそんなのどっちでもよい事に気づくだろう。
ただ、とにかく雰囲気のよいまま、議論がしたいだけなのだ。雰囲気のよいまま。これがとてつもなく重要なのだ。
例えば恋人と、「仕事と私、どっちが好きなのよ」的な議論をするとしたら、どちらを選択し、どの様に動こうとも確実に感情が入り込み、その跡には嫌な思いや不安やしこりが横たわったていることだろう。
この議論が始まった段階で既に状況としてはメーデーメーデー!で、いかにマイナスをゼロに持っていくかの戦いになってしまう。
そんな不毛な戦いはもうしたくないのだ。
戦争が終わり、日本では「戦後」と呼ばれている令和の時代にあっても、大河ドラマは幕末と戦国を繰り返すし、ゲームの題材は何かと戦うばかりだ。
それからわかることは、我々日本国民の多くはどうしようもなく争いを求めているが、実際には争いたくはないのだ。
僕もその大半と同じで、和気あいあいと戦いたいのだ。腕力もなく知識も乏しい僕が戦うと言ったら、どうでもいいテーマでディベートするしかない。
そこで冒頭の小競り合いにつながって来るのだけど、もうかれこれ5年前くらいに僕の友達の新井くんが突如として周囲との連絡を経ち、失踪してしまった。
新井くんは僕と話があって、小学校から仲良かったのだけれど、飲みに行ってもドライブしてもとにかくどうでもいい答えのない問答の繰り返しに付き合ってくれる数少ない友人だった。
傘だけが技術の進歩に取り残されていると言う話の時は、彼がカッパの派生を推す立場になり、時計型の収納器にしまわれた衣類がスイッチひとつで羽織れると言う阿笠博士系統の案を披露すれば、
僕はあくまでも傘の派生として骨を限りなく頑丈で透明な繊維にして、折りたたむとハンカチみたいな布にモデルチェンジを推すトニー・スタークみのある若手ベンチャー社長系統の案で雰囲気のよいまま戦っていたものだ。
そして彼との今のところ最後となっているのが冒頭の電子書籍か紙の本かという議論だった。
僕はその時電子書籍派だった。
確か検索が出来て幅も取らないから良いみたいな事を言ってた気がする。
山手線の電車の中で、何気なく交わした議論だった。
最後だと思って臨んだ議論ならもっと革新的な視点やアイデアもあっただろう。
でもそれが最後だったのは結果論で、その時は幾度となく繰り返した内のただの一つの議論に過ぎず、気の利いたコメントも、心に残る指摘も出来ていなかった。

最近は、eBookとやらで電子書籍の漫画を買い始めた。noteを始めようと思ったのは、それらの感想を何処かに書いておきたかったからだ。
これで、「電子書籍」だけでなく、「漫画」や「ノート」も、新井くんを思い出すきっかけのシオリにしてしまった。


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