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301.逃げたっていいんだよ!逃げないから相手は調子に乗るんだよ~

1.逃げる勇気 その一


 
いじめられる子どもたち、いや若者や大人たちも同じです。
いじめられているその場から離れる事ができません。怖いために身体が委縮して、ヘビに睨まれたカエルのようにその場にいます。また、その場を離れる事は逃げる事になってしまうと考えてしまいます。
 
しかし、その場合は気にせず、逃げれば良いのです。
 
いじめる側にしてみれば、逃げないのですから格好の餌食です。
逃がさないのではなく、逃げないのですから、その時点で勝ち誇り、満足に浸ります。
都合が良いのです。すると、次は脅かしたり、命令したり、自分の思い通りに動かす楽しみを味わい、優越感に浸るのです。

何と言っても、いじめる者は劣等感の塊りですから、自分より弱いと思えるものが餌食になります。また、逃げない者は告げ口しないと馬鹿にしています。

ですから、何も気にせず、逃げれば良いのです。

多くの人が仕返しを恐れ、逃げずにその場に残りますが、逃げないでいじめられている者をいじめる側は充分に観察しています。

何を観察しているのかというと、

自分に服従するかどうか?
自分を尊敬(無理やり)するかどうか?
素直にいう事を聞くか?
危険か、危険でないかどうか?
後で面倒にならないかどうか?
親が出て来るかどうか?
告げ口するかどうか?
怖い友だちがいないかどうか?
 
このように様々な事を注意深く脅かしながら観察するのです。
いじめる側は当然悪い事をしているという自覚を持っていますから、告げ口や復讐を恐れています。信じられないかも知れませんが、怖いのです。怖ければ止めれば良いのですが、脅かしながら相手の情報を知りたがります。知ることによって安心し、いじめる事ができるからです。
 
※注 いじめる側にはこれだけの観察力が備わっているようですが、私はいじめる側の情報をもっと知るべきだと思います。いじめられる側にはほとんど相手の様子がわからないため不要な不安を持つようになります。
 
では、実際にその場から逃げた場合はどうなるのでしょう?
 
 

2.逃げる勇気 その二


 
ある夕暮れ時、学校の体育館に呼び出しを受けた少年がいました。
彼はどちらかというと校内では目立たないおとなしい性格の子です。勉強はあまり得意ではありませんが真面目な子です。でも、いつも皆からからかわれていました。

しかし、彼はどんなにからかわれようと無視し続けていました。

彼をいじめ続けていた者たちにとっては、無視されている事自体が面白くないため、呼びつけて脅かそうと考えたのです。
しかし、彼はその呼びつけにも応ずることをしなかったため、よけいに頭にきて、いじめ側の仲間が数人で無理やり体育館に連れてきたのです。

「おい、なぜ来ないのか?ビビッてるのか?いつまでも逃げているんじゃねぇぞ!」

彼らはすぐさま怒鳴りはじめました。
「・・・・・」

「何黙ってんだよ!来ない理由をいえ!」
それでも彼は静かに黙っていました。

「ばかやろー舐めてんのか、舐めんじゃねえよ!」
彼らはどんどんエスカレートしました。
「・・・」

しかし、彼は黙っています。
「おまえ、口がないのか?それとも馬鹿か?」
「・・・・」

「おまえ、俺たちを馬鹿にしているのか?俺たちはそんなおまえを見ているだけで頭に来るんだ!いつまで無視しているんだよ・・・」
「・・・・」

「おまえ、うんとかすんとか言ってみろよ。口があるんだろ!」
「・・・・」

彼らから薄笑いがこぼれます。
「はっはっはあ。こいつビビッてるぜ!何も喋れねぇぜ・・」
「・・・・」

「おい、何とか言えよ!何かい、それとも喧嘩でも売っているのか?ならばかかってこいよ!悔しくねえのかよ、馬鹿め・・・」
彼らの怒りは頂点に達しました。

「このやろー馬鹿にしやがって!」

彼らは拳を握り彼に近寄り首を捕まえ威嚇しようとしました。
すると、彼は突然振り向き、彼らに背中を向けてそのまま走り去りました。

「う、何だよ!逃げちまうのかよ・・。だらしねぇな・・。根性ねぇな・・。なあなあ笑っちゃうぜ・・・」

逃げる彼の姿を見て、彼らは互いの顔を見合いました。腹を抱えて笑う者もいますが、不完全燃焼のような後味の悪い顔をしている者もいました。その後、彼らはつまらなくなったのか解散しました。
 
しかし、彼らの心はなぜか晴れません・・・。
それは、不完全燃焼だったからです・・・。
 
なぜ彼らは不完全燃焼に陥ったのでしょう。
彼らにしてみれば数人で取り囲み脅かし、威嚇した訳ですから、負ける要素はありません。人数においても圧倒的に勝っているのですから、勝ち誇っても良いはずです。

ましてや、相手は何も言わず逃げてしまったのですから、何も悩む必要はありません。しかし、彼らの表情は暗いのです。

ほとんどの相手は、呼びつけるだけで言いなりになります。
ましてや逆らう度胸のある者などいません。
相手を平伏させて満足感を得るわけですが、この場合、それ以前に相手は逃げてしまったのですから、満足感がないのです。

逃げた相手を何度も呼び出したとしても同じように逃げられたら、また同じ思いを繰り返します。
こうなると、彼らは空しくなり、バカバカしくなるか、または恐れを抱きます。

数日して彼らはまた集まりました。

「おい、奴は逃げちまったけど、チクらねぇだろうな・・。先公の所に泣いて行かないだろうな・・。あんな弱虫だとは思わなかったぜ・・。今日の奴はどんな顔をしていたか?教室で笑っていた?何故だよ・・。いつもと変わらねえだと・・、何でだよ!くそー、舐めやがって・・・。今度あったらタダじゃあおかねえぞ・・」
「・・・・」

仲間たちも薄笑いを浮かべながらうなずいていた。
「ああいう奴は危ねぇ・・・様子を見ながら注意しねぇとな・・」
「・・・」
 
彼らのいじめは止まりました。
 
 

3.逃げる勇気 その三


 
勇気って何でしょう?
立ち向かう事が勇気なのでしょうか?
逃げる事は卑怯なのでしょうか?
逃げる事は勇気のないことでしょうか?
 
いじめられても〈逃げる事は卑怯だ〉という考え方が蔓延っているようですね。
いじめる側もいじめられ側も逃げる事を勇気とは認めていないのに、どうしてなのでしょう?

私たちは幼い頃から、
〈逃げてはいけない〉
〈逃げるのは卑怯者〉と教わってきましたね。

〈嫌な事から逃げなさい〉などと教えてくれる人は誰もいませんでした。
だから、〈逃げる事は悪だ〉と考えてしまっているようです。

 
でも、その教えは間違いですよ。

嫌な事からはどんどん逃げてかまいませんよ。
嫌な事をするのは自分を誤魔化す事です。
嫌な事を嫌々行って良い事などありません。
我慢することも必要ありませんよ。
我慢は自分を見失わせます。
 
〈嫌な事から逃げず〉〈我慢する事を強要される〉こんな教えこそ、いじめの権化です。だから人はいつの間にか正直に生きれなくなってしまいました。自分に正直に生きれないと、それが劣等感になります。
その劣等感は自信を失わせ、人と比較する不安定な心を呼び込みます。

 
いじめた彼らは、不完全燃焼に陥りました。
そして、その後妙な不安感を持ちます。

それは当然でしょう。
人を威嚇して脅かしたわけですから。

その不安は、不安を呼び込み、恐怖心に変わります。

どうして?

彼らには仲間もいるし、相手は一人だけなのに何を恐れる理由があるの?
皆さんはそう考えるでしょう。

しかし、大人数いたとしても関係ありません。
そこに居合わせた者たちは皆不安になっているのです。
彼らが安心できるのは、自分たちに服従を誓う者たちです。
言うなりになる者たちに安心するのです。
 
「言う事を聞かぬ者」
「逆らう者」
「認めない者」
「言い返す者」
「反発する者」
「納得できない者」
そして、
「答えぬ者」
「押し黙る者」

さらに、
「逃げる者」です。
 
しかし、どうしてでしょう?
 
恐怖心というものは自分が勝手に創り出す幻想です。
例えば夜道を一人で歩く時、怖いと思えば怖くなります。
寂しいと思えば寂しくなります。

これは誰の心にもある法則です。
例えば人に嘘を付くと、その嘘がばれないかどうか不安になるでしょう。
その嘘を隠すためにさらに嘘を付きまくれば、不安を増長させてしまい、巨大な恐怖心が生まれます。
人の心とは不思議なもので、誰もが同じ性質を持ち合わせているのです。
 
たとえば、あなたが誰かと口喧嘩したとします。
ついつい感情的になり相手を非難します。
汚い言葉で罵ったり、責めたりします。

どうでしょうか?

後味が悪くないですか?

とてもいやな気分になりませんか?

喧嘩の内容によっては、相手から何かをされるのではないかという恐怖心なども生まれます。感情でものを言い、怒鳴り、怒った事は、必ず自分に跳ね返ってくることがわかるでしょう。
それは、両親や兄弟、友だち同士の言い合いだって、感情でものを言ったら、言われた者よりも、言った者の方が傷つく場合があります。
言われた本人は以外とケロッとしていて、言った者はいつまでも忘れられなかったりします。
 
ですから、人を威嚇したり、脅かしたり、馬鹿にする、傷つけるという事は、結果として自分の心の中に不安と恐怖が根付くようになります。
だから、彼を脅かした彼らはとても怖い思いをしているのが分かります。

だって、自分たちの言いなりにならず、逃げてしまったのですから、こんなに恐ろしい事はありません。
 
博愛の精神のもとにガンジーは無抵抗主義を貫きました。
多くの人々が傷つき、倒れ、殺されていきました。
確かに、戦いには戦いで、が良いとは思いません。

ガンジーの場合は時代背景がありますから、良いとか悪いとか、簡単に言えませんが、いじめの場合の無抵抗主義は勇気ではありません。

逃げずに、その場にいる事が本当の勇気ではありません。

問題は自分が勝手に作り上げてしまっている恐怖心です。

逃げると言うのは勇気です、
逃げる事によって相手に無言の圧力をかける事ができます。
つまり、相手にしないというのが勇気ある逃げの姿勢なのです。
これがいじめる側の心理と弱点です。

ReoNa 『生きてるだけでえらいよ』-Lyric Video-

【泣ける話】全員が泣いた感想文

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さらに、「本物ぽい偽物」などは何とか見分けがつきますが、「偽物ぽい本物」などはまるで見分けられないという問題が生じています。
一番の被害者は、子どもたちです。それを確認できないお父さんやお母さんたちにも問題があり、子どもたちは何も知らないまま犯罪に手を染めてしまったり、人を傷つけてしまいます。ぜひ、お読みください。

本内容は、全国の都道府県、市町村、学校、NPО団体、中小企業、noteの皆様、クリエイター、個人の方々を対象としているものです。また、全国の職員研修での講演先のみなさまにもおすすめしています。
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