ナオコライフ10 植物の存在

日々書いていますが、こうやって書いていると、何が正しいかなんてあやふやなものだとおもってしまいます。それでもわたしはこの世にひとりしか存在しなくて、似てる人はいるけれど、ほんとにひとりなんです。みんながそう。そしたら、その主観を大事にしたらいいとおもいます。情報が氾濫していると、いろんなところに目がいきがちですが、結局は自分の現実に立ち返ってくることになります。〜主義とか、〜理論とか、わけわからないですよ。わかったつもりになってるだけで、本当は何もわかっちゃいないというところ。そのあたりが、心身共に腑に落ちるっていうとき、やっと理解できたと感じられるのではないでしょうか。

植物もいろいろと種類がありますし、人によって関心の示し方は様々だとおもいます。必要な人もいれば、まったく興味がないと感じる人もいるでしょう。なんとなくインテリアの場合もある。でも、人は呼吸をしている。人と植物の共生について論じることはむずかしくてできませんが、植物がただそこに居てくれるだけで、ほっとするのは確かな感覚のようです。

上の写真は、我が家の台所の観葉植物ポトスです。引っ越してきたときに、父が買ってきたんですが、まさにど真ん中に鎮座しています。ポトスがないなんて考えられないくらい、そこに馴染んでいます。朝日を浴びている様子ですが、一日のうちで一番美しい瞬間なんです。人間と同じように堂々と生きています。写真はいつもの通り、よく使ううつわたちとともに写っていますが、こんな何気ない暮らしの風景に現実を見ています。ここを忘れてはいけない。この台所で、ポトスは簡単に言葉にできないような働きをしてくれているようなんです。だから、わたしも簡単にはここで書けないような幸福感とか、現実感をポトスから与えてもらっています。

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