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動と静

動と静、この営みが日々のことの運びというか、一日のうちで波がある。必然的にやってきて、その波に乗っているときがあれば、自分で波を作り出すときもある。


朝からヨガをして体にまず、おはようという。これをすると決まっていいようで、一日の運び、これは気分てこと、なんとなく落ち込んでいてもやり過ごすことができるよう。乗り切れる。


さっきまで、庭のつつじの剪定をしていて、もちろん花が終わり、もさもさと伸び切っているからだけど、庭の手入れがわたしに必要なのは、体が動くことで心も動いてくるところがあって、やっぱり心と体はつながっているから、この行動に移すところは切り離せない。必要。体から心への働きといっていいのかな。そうして今、こうやって、書いている。今、静の状態になって、ああ動があったから、おかげで静の状態での働きがでてきているとわかる。心の底で沈殿してたことが、動くことで浮き上がる。


わたしは、家の中でじっとしているのでは、どうやらなかなか書くことにつながらないよう。今日ははっきりそんな自分の特性が理解でき、じゃあ、いったいこれから何をしていったらいいのだろうとおもう。


といっても、人は他人にとやかく言われても、その通りには動けなくて、結局は自分で納得する何かがないと行動には移せないとおもう。当然かとおもうけど、当然でない人もいるかもしれない。次に何か新しいことをするときっていうのは、たいていそういうタイミングがやってくるもの。いつなのかわからないところを、無理にもがいてもしょうがないし、何もしないのもどうかとおもう。だから、時のタイミングのときにスムーズに動けるようにするには、それは、毎日の積み重ねであって、心と体を整えることが大事なようにおもう。


わたしから労働を取ったらいけないようなにわかにそんな気がする。いつだって両極なのか、両極が正しい言い方なのかわからないけど、そんなところで、ゆらゆらしている。


それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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