ナオコライフ②2 ぶらぶらすると偶然性を呼び込む
2023.7.17
お盆が過ぎて、ほっと安堵する早朝。ある種、イベント的なものが終わり、日常へと戻っている。暑いので換気扇を回す。それにしても、いい新盆が過ごせて、父の供養になっただろうか。皆の様子を父の霊魂は見守ってくれていたのか。父が亡くなってから、魂はどうなるのかよく考えるけれど、死と生のあいだを中有というらしい。今、父は中有の状態にあるのかもしれない。
扇風機の生暖かい空気が回っている。わたしの部屋には冷房がない。まあそうはいっても、ここ静岡は過ごしやすい気候だからありがたい。蝉がみんみんと鳴いている。すぐそこには小さな山がある。そして、裏は川。だから暑さもなんとかなるのだ。
お昼ごはん後に、母がでかけて一人で静かにしている。最近、あまり読書がすすまなくてじれったい気もするが、いろいろと過ごしようがあるので、家のこととかもしながら、時間は過ぎてゆく。ある意味今詰めて何かをするのもいいけれど、なんとなくぼんやりするのもよい。
2023.7.18
新月。スタートの日。満月までのあいだにどう変わっていくのか。以前は新月になるたびに願いごとを書き出していた。あの頃の切なる思いで、なんとか人生をよくしたいと願っていた。今よりもメンタルは安定してなくて、人間関係に悩む日々だった。今ではなんてシンプルになっているのだろう。願いは想像以上に叶っているのかもしれない。
朝ウォーキングへ。夏の朝、光強し。毎年のさつまいも畑に圧倒される。光に包まれていた。
ぶらぶらしたくて、大きなモールへきた。自転車で出かけることも考えたが、きっと暑くてばてるから、涼しい場所へ。何の目的もなく来ても、それなりに生活雑貨類はいいものがあると求める。それにしても、最近家にある本が色褪せて見えはじめ、何が欲しいのか自分がわからず、本屋をぶらついていた。ちょっと興味があっても買うまでにならず、棚に戻す。ボイドタイムに入ったかのようで、自分がわからない。
最近の異変といえば、肉に対してだいぶ拒否反応がでている。100%食べれないわけではないが、できるならさっぱり野菜をたっぷりと食べたい。思考や好みや体質まで変化してきている。さっきランチにサラダボウルを食べた。前だったら考えられない。肉を食べていた。何かが起きている。
帰りに、駅ビルにて占い屋さんのところへふらふらと入る。いつも素通りしてるっていうのに。算命学の先生に占ってもらう。算命学はかなり調べてあったので、その上で深い話ができてよかった。今までの占いへのイメージ、意識が変わった。占いをお金を出して受けたことはかなり久しぶりで、案外ネガティブな思いがあったから、見てもらうのは遠ざかっていたけれど、今日のことでポジティブになった。自分がカードをやる上で、とても貴重な時間をいただいた。いい占い師さんにあたった。
2023.7.19
朝ごはん時に、母を責めてしまった。野菜の切り方が人が食べることに配慮がいってないということ。こないだも、めいっこにもそうだったと、父にもそうだったと、付け加えてしまった。きついわねえ、といわれた。当然だ。後悔でいっぱいの母にいうことではない。黙ってればよかった。こうやって、わたしは人を傷つけている。もう少し口を改めないといけない。歳をとってからしかられるのはこたえると、誰かがいっていた。
母が一生懸命新聞の一部を書き写している。認知症防止のため。よくがんばっている。わたしはダンスミュージック聴きながら夕ごはんをつくる。タロットの勉強もしていたけれど、こういう見えない世界のことにはグラウンディングが大事。料理は体調にもいい。そしておいしく食べて幸せになる。体感が大事。
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