見出し画像

『天気の子』と『もののけ姫』が教えてくれる、日本人が地球温暖化に無関心な理由

2021年8月、"地球温暖化"問題に関する科学報告書である「IPCC第6次報告書」の一部が公表されました。とはいえ、このニュースは一般にはほとんど知られていないので早速話を脱線します。

アニメ監督の新海誠さんが国連のインタビューで興味深いことを語っていました。
実は『天気の子』は、気候変動(=地球温暖化と同義)をテーマに内包した作品であり、海外での上映の後では、メディアの質問でも観客の感想でもほとんど「気候変動」のことが話題に上がったという。しかし、日本だけはそこに触れられず、よく出来た「ボーイ・ミーツ・ガール」のストーリーとして語られ評価された。新海監督は内容が説教臭くならないように、地球温暖化に関する専門的なワードは除外してストーリーに集中できるように作っていたが、全編通してみれば、ちゃんと“その意図”を感じとってもらえるように制作していたといいます。なのに、なぜこの反応の違いが生まれたのか?

その理由について、新海監督はインタビューで次のように分析しています。

今の温暖化がこれほどはっきりと目に見える形で危機的状況を及ぼす以前から、日本は他の国と比べて自然災害がとても多い国でした。だから良くも悪くも、環境の変化に過剰適応してしまっていると感じます。人間にはとても自然をコントロールできない、自然にはかなわないという感覚が、僕たち日本人のベースにはあるのではないでしょうか。それはある種の逞しさやしなやかさであると同時に、どこか諦念のようにも感じます。日本人の謙虚さでもあるかもしれません。しかしその感覚は、気候危機への明確なアクションが求められている現状では、マイナスに作用してしまっているのかもしれませんね。

地震、津波、噴火、台風、豪雨・・・確かに日本は自然災害が多い国です。毎年のように起きる災害のニュースを前にすれば「自然にはかなわないという感覚が、僕たち日本人のベースにはある」という言説は、多くの日本人が皮膚感覚で納得できるのではないでしょうか。

そしてもう一人、アニメ界の巨人である宮崎駿が『もののけ姫』についてのインタビューで、とても興味深いことを言っています。

画像1

『鎮まりたまえ』というのは日本人の自然観の一番中心的な観念なんです。
(出典 『折り返し点 1997〜2008』宮崎駿 2008 岩波書店)

この「鎮まりたまえ」という言葉に聞き覚えがある人もいるかもしれません。これは『もののけ姫』の冒頭で、主人公のアシタカがタタリ神に対して繰り返し言うセリフです。
冒頭のシーンでは、元々森で暮らす「猪神」が破壊を尽くす「タタリ神」となって現れます。しかし、アシタカはすぐに弓を引こうとはしません。タタリ神となった姿であっても敬意を表し、「鎮まりたまえ」と丁重に何度も繰り返します。なぜならば、その存在は単なる「モンスター」ではなく「神」と表裏一体であるから。そもそも触れてはいけない、倒すことのできない相手なのです。このアシタカの向き合い方にこそ、日本人の自然観が最も現れていると宮崎駿は語っているのです。

日本の神様ってのは悪い神と善い神がいるというのではなくて、同じひとつの神があるときは荒ぶる神になり、あるときは穏やかな緑をもたらす神様になるというふうなんですね。日本人はそういうふうな信仰心をずっと持ってきたんですよ。(前出)

日本には、万物には八百万の神が宿るという古来からのアニミズム(原始的な精霊信仰)が根強くあるといいます。災害の多い厳しい自然環境は同時に人間社会に多くの恵みをもたらしてきました。

さてここで、タタリ神=厄災と恵みの象徴=台風のようなもの、と考えてみてほしいのですが、毎年来る台風を日本人は誰も今さら嫌がったりはしません。来てしまった以上は仕方ないので対策をして受け入れるという態度です。台風は移動する際に海水をかき混ぜることで生態系を改善し、陸地には恵みの雨をもたらします。その恩恵を受けながら、自分の目の前を通る際には「鎮まりたまえ」と祈りを捧げ、もし被災してもそこから頑張って復興する。それが日本人が長年培ってきた自然観であり、処世術でもある。

しかし一方で、少しずつ“何か”の影響で台風の勢力が大きくなっていることに関しては無頓着であるように思います。

科学的には、日本においては地球温暖化の影響が豪雨や台風などの災害を強めることがわかっています。元々から何もしなくても自然災害は起きますが、地球温暖化している分だけ影響が上乗せされるのです。気温が上がれば、空気中に含まれる水蒸気の上限が増え(1℃上がるごとに7%)、短時間・短期間で大雨が降るようになります。台風は高くなった海水温から熱と水蒸気を受け取って凶暴化します。これはつまり、恵みをもたらす自然が荒ぶりやすくなり、タタリ神に変化するようなものです。(温暖化の影響を詳しく知りたい方はこちらの動画を)

日本人の自然観が、温暖化の理解を邪魔している?

ここで日本人が自然環境についてどう考えているか、国際的な意識調査を見ると、意外な事実がわかります。

世界価値観調査の「あなたはどの価値を大切にしていますか?」というアンケートでは、十項目の中で、日本人は「自然環境」を最も重視する人が多く、60カ国中1位。また「自然環境とどう付き合うべきか?」の問いでは、日本は「共存すべきものである」と答える人の割合が96.1%で調査国27カ国中1位で「支配すべきものである」と答えるのはわずか1.3%しかいません。

一方、別の国際意識調査(グローバル・コモンズ・アライアンス)での「自然環境を守るために積極的に行動したいですか?」という問いに、「はい」と答えた人の割合は、G20の中で日本が最下位でした。

グローバル・コモンズ・アライアンス

つまり「自然は大事だけど、積極的には自然保護には取り組まない」という日本人の意識が透けて見えるのですが、このような相反する回答になっている理由を好意的に解釈するならば、日本人の多くが(無意識化で)次のように考えているからではないでしょうか。

・自然は素晴らしいものだが、人間が自然を「支配」できると考えるのは傲慢であり、自然は人智を超えた畏敬すべき存在である
・たとえ温暖化の影響で凶暴化した自然災害であっても「鎮まりたまえ」と祈りながら耐え忍ぶことが、自然との「共存」であり、それ以外にできる手立てはない

要するに「自然を軽視するがゆえの無関心」ではなく「自然を畏敬するがゆえの無関心」なのではないかと。最初の新海監督の言っていることともつながります。もちろん地球温暖化についての科学リテラシーの不足や、温暖化対策に関する矮小化されたイメージ(レジ袋有料化・節電など)の影響もあるでしょう。
温暖化問題を一般化させるためには、まず日本人特有の自然観を認識した上で、科学的知識をしっかり備えてもらうこと。それが第一歩だと思っています。(宣伝・新刊が出ました『最近、地球が暑くてクマってます。』)

ついでに知っておきたい「気候正義」という考え方

『もののけ姫』のストーリーに話を戻すと、タタリ神によって呪いを受けたアシタカは、なぜタタリ神が生まれたのか原因を探る旅に出ます。その結果、製鉄を行うタタラ場の主である、エボシ御前が打ち込んだ銃弾が原因だとわかります。アシタカはタタリ神に対しては憎しみを持っていませんが、エボシ御前に対してはその責任を追及します。もっと他にやりようがあったのではないか、と。

これは地球温暖化とまったく同じ構造で、明確に原因を作った人たちがいるわけです。それは産業革命以降、化石燃料を使って経済発展してきた日本を含めた先進国であり、石炭・石油・天然ガスなどの化石燃料を燃やして温室効果ガス(CO2)を大量に出し、森林を切り開いて、自然環境よりも経済発展を優先してきた人々です。

アシタカは東北地方の村の出身で、自然と共生して持続可能な暮らしをしていたわけですが、それが別の地域の開発によってタタリ神が生まれ、安定した生活を奪われてしまいました。これは現実の世界で、自給自足で暮らしてきた先住民族やバングラデシュなどの途上国が、最も気候変動の悪影響を受けやすい状況と同じです。

画像2

アシタカの村では、タタリ神が出たら一大事で壊滅的な被害を受けるわけですが、エボシの暮らす町では武力によって立ち向かうことができます。これは先進国は堤防などのインフラ整備によって、ひとまず自然災害をしのげるということと同じです。同じ災害に対する不公平さも存在するわけです。
こうした不公平さに対して異議を唱えるのが「気候正義(Climate justice)」という考え方です。(デモ活動でよくこの言葉を掲げている人がいるのですが、これは「正義は我にあり!」と主張しているわけではなくjusticeを訳しただけであり、「気候の公平性」と訳した方が意味は近いです)

アシタカは村人を助けるためにやむを得ずタタリ神に矢を放ち、呪いを受け、そして事実上、村にいれなくなって故郷を失います。ものすごく理不尽な目に遭うわけです。このように『もののけ姫』は地球温暖化における不公平さを表した映画としても鑑賞できるのです。

画像3

これから私たちはどうするべきか

最後に。このまま私たちが対策を取らなければ、ますます自然災害は増え、暮らしにくくなっていくでしょう。私たちは地球温暖化をフィクションのように解決に導くことはできません。しかし、現実的なアクションによって地球温暖化は解決できる問題です。世界各国で(日本でも)行われている気候デモがその一例です。彼らの肩には、あなたを含めた今生きている全世代と、未来世代(これから生まれる人類)の命運がすべて乗っています。

『天気の子』も『もののけ姫』も、神に祈るという行為が象徴的に行われていました。私たちは狂ったままの世界でどう生きるかではなく、狂い始めた世界を今なら止めることができます。特殊な能力は必要ありません。私たちはいま「祈る」ことではなく、ただ「行動」が求められています。

この記事が参加している募集

#SDGsへの向き合い方

14,747件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?