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書きたいことはたくさんあるのに、アウトプットが追いつかない

どうも!るかちょです。
早速ですが、今の私には書きたいことがたくさんあります。

これから広めたいオタクは人生10倍楽しい!のコンセプトの話とか、なんで好きなものに夢中になるといいのかとか、抽象的な話だけじゃなくて心理学面とか精神面の権威ある先生が言ってる根拠的な話とか、、、、色々、ほんと色々書きたいことが多いんですよ。
あれもこれもそれもと思う反面、

やっぱりせっかく書くなら”読んでほしいと思ってる人に読んでもらえるようにしたい”と、マーケティングのノウハウに則ろうとしてしまう私もいて。

経験則上、これは私にとっては悪手なのをわかっているのでぐるぐる葛藤してるとこがあります。
ノウハウに則ろうということは、そのノウハウの方にはめる必要があるわけで。
私は、この型にはめた書き方に慣れていないんですよね。
というよりは、ものすごく窮屈さを感じてしまう。
ようは慣れの問題なんだと思うけど、慣れていないがために型にはめようと時間がかかるんです。
1歳児と6歳児がいる私にとって、1つのアウトプットに時間がかかるというのは「人の目に触れるまで」の工数が増え、書きたい!と思ったときの熱量は完全にバイバイしてしまうムーブをうむわけで。
このムーブを何度も繰り返してきました。だから、私にとっての悪手は「書く行為自体に慣れる前に、ノウハウに従おうとする」ことだといえるんですよね。

というわけで、今回はノウハウ一切無視。
思ったままに書き連ねようと思って書いてます!まぁnoteではいつものことなのだけど。

書きたいことはいっぱい、でも書くのが「遅い・工数が多い・頭で考えすぎる」の3拍子がそろって追いつかない

元々頭の中でぐるぐる考えるのが好き。
あれはどうかな、こういうのはどうかな、とかいわば”妄想”と呼ばれるものが大好きなんですよね。
だから頭の中でいろんな物語はできるし、あれはどうなんだこれはどうなんだという仮説もいっぱい立ち上がる。
ただ、大半は頭で考えるだけで満足してしまって表に出すまでに至らないわけですが。
精々知人や友人に口頭で伝えるくらい。
もうしゃべってしまうといよいよ満足度はあがり、時間をおいて他者が確認できる状態にする熱量はなくなっちゃって。
はっきり言って、フリーランス…個人でビジネスをやる身としては致命的だと思うんですよね。
個人でビジネスをやるなら、発信という”自分の声を世の中に出す”という行為は商売に直結するスキル。磨き続けることが肝心なスキルであるはずなのに、私はこの”自分の声を世に出す”スキルが非常に低いんです。

というより、なかなか熱量が維持できない。

それこそ高低差が激しい波のように、一時はめちゃくちゃモチベーションが高く「うぉおおおおおお!」て感じでいけるのに、それが引くと「めんどくさ」「だる」「時間ないわ」と色々理由をつけてやらなくなる。
やる⇔やらないの落差がひどいんです。

だから今の私は「とにかく思いついたら書く」「とにかく書けたらなんでもいいから世の中に出す」を課題に設定した

フリーランスとしてそりゃ色々失敗をしてきた私だけど、やっぱり今でも失敗てなるべく回避したいなって思うわけで。
別に命が奪われるとか社会的に死ぬような失敗リスクを取ろうとしてるわけじゃないんだけど、なんとなく「うまくいかなかった」という姿や結果を出すことに抵抗を感じるんですよ。

それも大切なことなんだと理解はしてるし、何よりこれまでの経験上必要なことであるのも痛感してる。

してるんだけど…やっぱりさ!やっぱりね!?

「うまくいかなかったんだ…」てまなざしで周囲に見られるのでは、とか思うとできるだけ失敗回避したいなー精神でちゃうわけですよ。
ようは「かっこつかないことはイヤ」というワガママな話です。

でもそれってすんごいワガママなんですよね。

私は”自分の声を世の中に出すスキル”=発信スキルが低い状態です。
その状態の人間がですよ?
基本発信せずに、必要に迫られた時にだけ発信して「すげー!」「さすが!」とかっこよく思われたいなんて思っちゃうわけですよ。
だから下手なものは出したくない。
時間も労力もかけて、かっこよく見えるものを出したい。そう思ってしまう。
「かっこ悪い姿はさらしたくない」と。

冷静に考えると無理ゲー案件です(笑)
中にはいらっしゃいますよ?そういうセンスというか、感覚がよくて常にかっこいい姿しか見えないような方。
でも私は、そういう方にはいない人間で。

人間だれしも初めての/慣れないことはうまくできないなんてよく言われるように、私も慣れないことがうまくできるわけがないんです。
特に文章を作る・コンテンツを作る→世の中に出す、これには一定の慣れがいるわけで。

まずは不格好でも、へったくそやな~て自分で思っても、できたら世の中にリリースする!ということが大事と思って課題にしています。
なのでこの文章もこの課題への取り組みの一貫です。

(まぁ今の世の中、生成AIツールがえぐい数あるし、精度もいいっぽいのでそういうのを頼ればこういう慣れる作業も時間もいらんのんはわかっているんですが)

生成AIツールがあるのに、あえて自分で”慣れる”方を選ぶ理由

chatGPTに使われる技術、GPT4が出てからなのかな。生成AIと呼ばれる「何かを作り出す」ツールの台頭がめっちゃえぐい。
たった1週間で1000以上のものができてるなんてことも。
ライティング、Webサイト、スライド資料、画像、動画、議事録、チャットボット、イラスト…さて、作れないものはなんでしょうかね?てくらいほんといろーんなAIの力で作るツールが爆発的に増えました。

だから正直、今私が「自分の声を世の中に届ける作業」=発信練習に取り組むってのは、非効率極まりないやり方だったりします。

そう、効率面だけ考えるとめーーーーっちゃ非効率!(笑)
でも私は、あえてそれをやる。それはすごくシンプルな理由で…

今まで”人の目に見える形で何も自分の考えとか残してきてないんだから、生成AI使ってプロンプト考えるのも、自分で考えまとめるのも一緒

と、考えているからです。
ホリエモンとかすでにたくさん色んな形(コンテンツ)で自分の考えとか主張とか残してる人はいいですよ。蓄積があるんですもん。
それを生成AIツールに読み込ませて新しい形に表現しなおしたり、リライトかけたりとかすりゃ効率はずーっといい。

でも今までがない私みたいな人間には、それができない。
これからコツコツやっていかなきゃいけない。
しかもそれが一般的な「うまくいく方法」とかいうノウハウとか、とある技術の解説だとか、chatGPTのようなAIが得意な「調べりゃわかること」を改めてまとめ直す作業じゃなくて

私の頭の中にしかなくて、
まだ私自身も言語化しきってない
理屈や理論ではなくて、
感情面に重きを置いた話

という、まだ人間に残されたものというか「調べてもわからない、答えが見つからないもの」については私自身がまとめなきゃいけんわけです。
これからやっていくわけですが。

生産性の面からすると極めて非効率です。
でも、それをやるだけの価値があると私は考えています。

通り一遍のキレイな話より
個人的だし
クセ強いし
なんか不格好だし
でもなんかわかんないけど惹かれる、気になる、好きになる

ていうものが、今までもだけど、これからより一層求められる世の中になると思っています。

簡単に言うと、、、人間くさい、アナログ臭漂うような”その人や企業にしか出せない味わい”といったものが生成AIっていう「簡単に・誰でも・キレイなもの」が作れちゃう世の中では重宝されるんじゃないかなーって思ってるわけです。

というわけで、書きたいことがたくさんあるのにアウトプット間に合わねぇええええええええええ!となっている現状と、わざわざこのAI時代に自分で発信力を鍛えようとしている理由について書きました。

オチもまとめもありません(笑)
ここまで読んでくださってありがとうございました!
では。

余談:ノリと勢いとに任せて35分で執筆完了、5分で微妙な手直し完了、canvaで元々作ってたデザインに文字ぶっこんでトータル45分くらいでこの記事の公開に至りました。個人的にはこれでも早い方なんです。。。
精進します٩( ’ω’ )و

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