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『ぼくたちの哲学教室』を通じて鮮明に甦った苦い記憶と言葉の持つ価値

先日、『ぼくたちの哲学教室』を映画館で観た。
掛け値なしに魂が揺さぶれるような内容であった。

この映画を通じて、「哲学」の重要性、哲学的な対話をする意味を訴えかけていたように思う。

そして、この映画がトリガーとなって、この数年間で起きた私のほろ苦い経験、温かい記憶と
そこから学んだ言葉の価値についての自分の考えを
再評価する機会となった。

「あの人にこんな言葉を言われて傷ついた」
「なんであの人にこんなひどいことを言ってしまったんだろう」

誰しもがこんな経験をしたことが
あるのではないだろうか?

映画を通じて描かれる哲学の力や言葉の価値についての
私の考えを忘れないよう、自分を戒めるために
この場で書き記したい。

4,000字を超える内容になってしまったが
多くの人が一度は直面し得るこのテーマについて
私の赤裸々な経験をもとに考えたことが
誰かの参考になれば嬉しい。


映画で訴えかけていたこと

映画の舞台は、1960年代以降に激しい宗教対立が続いている北アイルランドベルファスト市
ホーリークロス男子小学校。

ここでは「哲学」が主要科目になっている。
映画の主要人物であるケヴィン校長は映画冒頭で
「他人に怒りをぶつけても良いか?」
と生徒に問う。

ケヴィン校長の問いかけをもとに
全員で意見を吟味し、生徒たち主体で
「どんな意見にも価値がある」という前提をもとに
対話を進めていく。

映画では、生徒たちが自らの思考を整理、思索し、
言葉を紡ぎ出す場面が多数描かれていた。

そして、私が「これこそ大人にこそ考えるべき」と思ったのが、自らのうちにある不安や怒り、衝動に気づき、コントロールする術を生徒に問いかけ・自らで答えを導く哲学対話のシーンだ。

人々の怒りこそ、あらゆる暴力を生み
暴力は暴力を連鎖するということを
宗教対立に直面している悲しい過去を持つ北アイルランドの舞台によって鮮明に視聴者に訴えかけている。

映画で社会に訴えかけていることは
身近な問題を放置せず
疑問に思い、
なぜ?
``でも’’
と問い直し、考え、点検してゆくことが
暴力の連鎖を止めてゆく手段
と理解した。

この過程には、自分とは反対側の意見を吟味することが含まれる。
普段の人とのコミュニケーションでも
相手の立場に立って考え、行動する
重要性は頭では理解できる。

しかし、私を含めて他者視点のコミュニケーションを
しっかり実践できることは容易ではないと思う。

だからこそ、深く思考を重ねる
哲学的な対話、自分の考えの整理を行うことで
他者視点に立ったコミュニケーションが可能ではないか
そう思って仕方がない。

ぼくたちの哲学教室 | 映画「ぼくたちの哲学教室」2023.5.27(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー! (youngplato.jp)

ケヴィン校長が考える哲学に取り組み意義

繰り返しになるが
映画では、相手を傷つけない、報復しない、暴力の連鎖を止める手段こそ
哲学にあるんだ!ということを訴えかけている。

実在するケヴィン校長が映画公開後のインタビューで哲学を教える意義をこのように語っている。

どんな発言にもどんな映像にでも、どんな問いでも、それに対して一歩引いて、そして振り返ることが出来るようになり、より良い理解で再評価できるようになる必要があります。私は子どもに4つのR
(Reflect=考える、Reason=理由、Respond=答える、Re-evaluate=再評価する)
を教えています。頭の中で推論し、理解し、答えを見つける。これで3つ。4つ目はRe-evaluate=再評価です。
例えば、「学校ってなんだろう?」という問いには
私が学校とは「様々な教科を学んで音楽やスポーツに取り組み哲学を学ぶ場所だ」と言う。あなたは「学校とは聖域ではないのか」という論を提示するかもしれません。つまり、私が良い答えを出したとしてもあなたが再評価するのです。もしある言説を目にしたらそれに挑戦するのです。もし反証できなかったらそれは真実であるということでしょう。

引用:ぼくたちの哲学教室パンプレット

この哲学の意義や映画に触れて、
私が直面した困難な経験が鮮明に甦った。

なぜなら、私も苦しかった経験をノートに
書き留め、過去の偉人の思考と照らし合わせて
自身で思索を繰り返したことがあったからだ。

哲学は、4つのRの思考プロセスをもとに思索を重ねて
言葉を紡いでいくことで、様々な身近な問題に
向き合い、自らで答えが出す。

この映画やケヴィン校長の言葉が
一度蓋をしていた私の苦い経験・温かい記憶と
向き合う時間をくれた。

甦ったメンタルを壊しかけたほろ苦い経験と温かい記憶


映画を通じて物事を様々な方向で考え、言葉を紡ぎ出す面白さに触れた結果、
ふと「言葉」の持つ魔力についての考え・様々な記憶が甦った。

それは、
5年の社会人経験を通じて
感情をコントロールして、
言葉を大事に生きてゆきたい
良い言葉を紡ぎ出したいと
考えるようになったことだ。

なぜなら、他者の言葉で多くの深手を負ったからだ。

入社後の指導員となった上司から
「なぜやってないんだ。なぜできない!??」と
怒鳴り声と人格を否定する言葉を沢山浴びせられ
自己嫌悪に陥っていた時期があった。

ある日、ベッドから起き上がれない日があったり
頭が割れるじゃないかという痛みの頭痛で
駅のホームでしゃがんだことも少なくなかった。

その後は、脳外科で処方された頭痛薬を常備して
仕事をしていた。

また、昨年までの2年ほど、プライベートで深く関りを持った人から刃物のような言葉の数々を受けて
メンタルがズタボロになったこともあった。

気付いたら、5年前から体重が8Kg減っていた。。。

さりげない言葉の刃が気付かないうちに
心身にダメージを蓄積していた。

今振り返れば、思い出したくないのに、突然その場面や言われた言葉を思い出す「侵入思考」に苦しんでいた。

しかし、その経験から、哲学的思考に近い形で
人の発する言葉に対して様々な角度から
1人で思考を重ねたことで
非常に大事なことに気付けた。

それは、自分の人生でさまざまな人に
ナイフのような言葉など跳ね返せる
矛になり得る温かい言葉や愛情を沢山受け取っていたと改めて思い出したことだ。

高校生のとき、英語の先生が私の志望する大学について鼻で笑った中、T先生やN先生、Y先生は常に励ましてくれた。
先生方は私に期待していなかった。
ただ応援し、私の可能性を信じてくれた。
その結果、奇跡的に第一志望に合格出来た。

20歳の頃、世界一周旅のために大学を休学したいと
思ったとき、両親は大反対の中で
大手新聞社時代に世界各地で取材をされていた
H教授に相談し、即決で背中を押してくれた。

大学復学後に指導を仰いだ社会学のN教授や
文化人類学のD教授は常に応援の姿勢、励ましの言葉をいただいた。
だから、自分の関心分野である難民問題に突っ走って
学びを探求することが出来た。

また大学最終年でチャンレジした国連プログラムに落ちた時、中華料理屋で国連勤務経験のあるA教授から鋭い眼差しで
「良かったね。それには意味があるよ。」と
言われた言葉は、今も忘れられない。
(実際に本当に意味があった!)

入社4年目終わりから上司が変わり、感情的なダメ出しではなく、悩みに対してポジティブに提案型のアドバイスをしていただいたおかげで、営業成績が急上昇し
5年目では、本部長賞をいただいた。

さらには、2022年プライベートの人間関係で
ズタボロだった時、
大学時代の友人Rのさりげない一言が、
どれだけ救いになったか計り知れない。

本当に良き友人・先生方に恵まれたものだ。。感謝感謝

そして、日々の悲しみや苦しみを全て洗い流してくれた
サウナは、私の命の恩人と言っても過言ではない。

言葉の持つ価値とは?

私のこの経験から言葉の持つ2つの側面に対して確信を持つようになった。

1つ目は、
言葉はどんなに強いパンチやナイフよりも重く重く
受けた人の心に強烈な一撃を一瞬で与える力があると痛感した。

高校時代柔道部で必死に練習に打ち込んでいた時、練習試合に負けて監督にボコボコビンタ顔面10連発を受けた痛みは10年経って、とっくに癒えている。

しかし、身近な人から受けた言葉の刃は
目に見えない負のタトゥーとして
ずっと心に刻まれる。 

心の傷は、目に見えてないからこそ
非常に厄介だ。

もしあなたを傷付ける人がいるなら
それはあなたの大切な人ではない。

すぐに離れよう。

人はどんな状況でも相手に対する態度を大きく変えない。
あなたの大切な人は、疲れているから、落ち込んでいるから、体調が悪いからとしても
ナイフのような言葉であなたを刺すことはしない。

言葉を粗末に扱う人は、仕事も人間も粗末にするだろう。

反対に言葉を大事に大切に扱う人は
きっと仕事も周りの人間も、自身の人生も
大事にするんじゃないか。

言葉の持つもう1つの側面は、
何気ない一言だけでその人の人生に
未来を変えるほどの武器を与え
傷ついた心を治癒する力にさえなる。
そして、その言葉は時間が経過してさえ持続性が高く
刃物ような言葉を跳ね返す
最強の矛になる側面を併せ持つ。  

これこそが言葉の持つ価値ではないだろうか?
私は、人に恵まれたおかげで
すでに最強の矛を持っていた。

言葉に対する価値の高め方と大切にしたい軸


私の波瀾万丈な体験から、
言葉は、本当に諸刃の剣であると痛感した。

同時に、最大源、丁寧に言葉を使っていきたいと
考えるようになった。

弁護士には簡単になれないけれど
誰かを言葉で守り倒すことは出来るのではないか。

どうすれば言葉をうまく使えるか。

私なりの考えは、映画で学んだ
哲学的思考である
4つのRの実践である。

つまり、身近な事の悩みや素朴な疑問を
考え、理解し、答え、再評価する事で
思考を深化させてゆくだけではなく
反対の視点・他者の目線を点検することが出来る。

この思索の実践で
発する言葉の厚みが増して
相手の視点を考慮したコミュニケーションができるのではないか。

つまり、反証を含めた批判的思考の深さと回数
そして、異なる他者との対話が
言葉の価値を高めていく。

と言っても、ここの境地に辿り着くのは
容易では無い。一生かかって取り組む課題だと思う。

身近に出来る意識付けがあるとすれば
言葉は相手を傷つける可能性を持つと理解し
言葉一つ一つを慎重に丁寧に選び、
プレゼントする姿勢こそが、
最強の矛をギブできる第一歩だと思う。

そんな人間にいつの日かなりたい。

他者の言葉で本当に葛藤を繰り返し、悩み・傷付いた。
でもそれは無駄なんかじゃないんだ。

これほどまでに
もがき苦しんだ分
もっと関わる相手を大切に出来る。

映画『ぼくたちの哲学教室』がトリガーになり
様々な私の経験と当時の思考を再評価したことで
これから自分自身に何度も心に刻みことがある。

言葉を大事にして、自分の人生を歩みたい。


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