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【識者の眼】「大坂なおみ選手が告白したのは『うつ病』だったか」上田 諭

上田 諭 (戸田中央総合病院メンタルヘルス科部長)
Web医事新報登録日: 2021-07-26

テニスの大坂なおみ選手が5月の全仏オープンで記者会見を拒否して棄権し、「2018年の全米オープン(での優勝)以来depressionに苦しんでいた」とツイート。これをいくつかのメディアが「うつ病の告白」と報じて、波紋が広がった。

英語のdepressionは、病としてのうつを表すとは限らない。日常で経験するような気分の落ち込みやうつ状態も表す(経済的不況、低気圧、低地などの意味もある)。7月になって大坂選手は東京オリンピック出場を表明。ツイートの「内向的」「対人不安」「緊張」などの表現や、2カ月でオリンピック出場に前向きになれるほどの回復を考えると、おそらくは「うつ病」だったのではなく、「うつ状態」であったというのが正しいのであろう。あるメディアは「うつ病」から「うつ状態」に表現を変更した。

このような混乱には、精神科における「うつ病」の概念が定まっていないことが背景にある。

約20年前までは、うつ病とはストレスによる生活上の悩みや落ち込みというレベルを超えた、言いようのないつらさのうつのことを指した。精神だけでなく身体的な苦痛も伴い、どんなに事態が好転しても改善せず、抗うつ薬か電気けいれん療法でないと治療はできない病であった。

ところが2000年代から、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の上市と米国精神医学会の診断基準の変化、さらには「うつ掘り起こし啓発活動」によって、生活上の葛藤とストレスによるうつの人が精神科に大挙して訪れるようになった。その多くは、精神療法や現実問題の環境調整が有効な人たちだったが、彼らにもうつ病(または大うつ病性障害)と診断がつけられた。

もともと40万人だったうつ病(躁うつ病を含む)患者数は100万人を超え、増加した患者の大部分が新たなうつ病層である。旧来のうつ病は少数派になり、いまやうつ病といえば、生活上の葛藤やストレスに関連したものだと思われる傾向が非常に強い。大坂選手の「うつ病」報道もその風潮から現れたものであろう。実際は、従来のうつ病こそが、集中的な精神科治療が不可欠な中核的な「病」なのである。

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