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【識者の眼】「エビータの命を奪った子宮頸癌」早川 智

早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)
Web医事新報登録日: 2021-11-22

日本にとって地球の裏側、タンゴで有名なアルゼンチンは、南米でブラジルに次ぐ第二の経済大国であるとともに最も高い教育水準を誇る。第二次大戦前までは非識字者が多かった同国の教育を高めたのが大統領夫人エバ・ペロン(Maria Eva Duarte de Perón)だった。

エビータと愛称される彼女は1919年、アルゼンチンの田舎に裕福な農場主の私生児として生まれた。飲み屋と売春宿を経営する母親を嫌ったエビータは15歳で家出し、様々な職業を経て人気女優となった。副大統領兼国防大臣だったペロン大佐に見染められて後妻となり、1946年ペロンの大統領就任後はファーストレディーとして自ら財団を設立、労働者や老人、寡婦、私生児などに対する支援と、初等教育の無償化を進めた。しかし、1950年に子宮頸癌が発見され、米国から名医をまねいて手術を受けるも再発、1952年に死去した。享年33。エビータの死を悼む数百万人の国民が葬儀に参列したが、夫ペロン大佐の人気は急落し、1955年にはパラグアイに亡命、1973年78歳の高齢で再び大統領に復帰するが翌年死去した。

子宮頸癌は性交によって感染する何らかの感染性因子が関わっている可能性は古くから指摘されていたが、1980年代に入りヒト乳頭腫ウイルス(HPV)が原因微生物と同定された。さらに、近年有効なワクチンが開発され、先進国では激減した。

波乱に満ちたエビータの生涯はメロドラマやミュージカルの格好の素材となり、アルゼンチンでは人気凋落した夫とは対照的に聖女のように讃えられている。しかし、一方では淫らな娼婦という悪口も絶えず、その根拠のひとつが彼女の子宮頸癌であった。しかし、近年、女性の大半が生涯のうちの1度以上子宮頸部にHPV感染を受けるが、多くは数年のうちに免疫が成立して排除されると考えられている。

エバの場合、ペロン大統領の最初の妻アウレリアも子宮頸癌で30歳で亡くなっていることから、若い頃から女性関係が華やかだった大統領こそ感染源であった可能性が濃厚である。エバの伝記を読むとヨーロッパから宝石やブランド洋服、毛皮を取り寄せるという浪費癖や無教養を隠すための虚栄心が見え隠れするが、貧しい人々への教育の普及に最大の努力をしたという点については誰も異議はない。

わが国では早い時期にHPVワクチンが導入されながら、積極的勧奨中止によりアルゼンチンにも大変な後れを取っている。HPVワクチン行政に関しては決して医療先進国とは言えないのである。

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