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『銀河鉄道の父』の映画感想まとめ

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『銀河鉄道の父』についてのすてきな映画感想をまとめるマガジンです。
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#映画

母娘で『銀河鉄道の父』と書道アート部

門井慶喜さんの小説が好きで、時々読んでいます。 『銀河鉄道の父』を読んだとき、お父さんが主役の伝記(歴史)小説って 面白い! 『銀河鉄道の父』ありがとう! 「宮沢賢治のお父さん、ありがとう」と思いました。 宮沢賢治のお父さんがいなければ、宮沢賢治にも宮沢賢治の作品にも私たちは出会えなかった。 だって 父過ぎる父 銀河鉄道の父 「父過ぎる父」の意味は映画『銀河鉄道の父』を観てね。 私は小説派で、すでに読んだ本が映画化されても大概観ようと思いません。 でも今回、

映画「銀河鉄道の父」

まだぼーっとしています。 泣きすぎました。 役所広司さんと菅田将暉さんの、演技ということすら感じさせない存在感にやられました。 涙の壷にまだ八割方涙が溜まっていて、どうかするとまたあふれそうになります。 あの場面のあのタイミングであのセリフは、泣くなと言う方が無理です。 宮沢賢治。 今でこそ、世界中で愛されている作家はしかし、生前は無名のまま、三十七歳の若さで亡くなりました。 その作品が知られるようになったのは、ひとえに、家族がその才能を信じ続け、遺稿を出版社に売り

銀河鉄道の父より妹に感動した話/人の役に立つってどういうことなんだろうね

GWに銀河鉄道の父を鑑賞した。 (画像は公式サイトから引用させて頂きました) 私は原作を読んだこともないし 宮沢賢治の半生は正直全く知らない。 が、 そんな私が映画鑑賞をして感じたことと考えたことは以下の2つである。 目次①父より妹の方が演技に迫力がありすぎた②人の役に立つことを追求した先にあるものとは? ①父より妹の方が演技に迫力がありすぎた 正直に話すと 私は森七菜さんの演技は役に没入している感じを感じられず(一意見として捉えください)、 あまり好みではなかった

銀河鉄道の父 役所広司と菅田将暉 親子 を軸に太い「魂柱」が入った映画

深い青、黒、紅が混ざる空。きれいだ…銀河鉄道の車窓からの景色か? 《明治29年8月》とテロップ…宮沢賢治が生まれたのか?軽妙な空気感が漂う車中の役所広司(宮沢政次郎)で映画は始まった。帰宅し、赤ん坊と出会う。坂井真紀が出てきた。妻だ。続いて田中泯。役所広司の父役らしい。そこで、初めて赤ちゃんの名前を知る。 政次郎「宮沢、賢治、、、いい名前じゃ!」 初めて生まれた子の誕生で、政次郎から溢れ出る喜び。短いが、この役所広司のひと言で一気に引き込まれた。 明治時代ということもあり、

田中泯さんと昨年のKYOTOGRAPHIE2022と「銀河鉄道の父」

 1か月ちょっと前にバス停で見た広告です。余白には「Min Tanaka 田中 泯」と書いてあります。映画やテレビドラマで拝見する機会が増えてきた田中泯さんです。右手だけで何かを表現しようとしているのでしょうか。それが何なのかはわからないのですが、指の関節の曲げ具合、手のしわや陽に焼けているような肌の質感が印象的で、しばらくこの広告を見ていました。踊っている田中泯さんの姿がぼんやりと私の頭の中に現れてくるような感覚です。  そう感じたのは 昨年の KYOTOGRAPHIE

銀河鉄道の父@ユナイテッド・シネマ入間

ふたりの「父」が登場する。 息子の前に立ちはだかる厳格な父・宮沢喜助(田中泯)と息子に寄り添う優しい父·宮沢政次郎(役所広司)。入院した幼き日の賢治を看病しながら自らも病にかかってしまう政次郎に喜助は「お前は父でありすぎるんじゃ」と呆れながら言う。 それでも政次郎は息子を承認し続けた。 成長した賢治(菅田将暉)が家業を継ぐことを拒否し、進学したいと言い出した時も、人工宝石を作りたいので金の無心をしてきた時も、学校をやめ、信仰の道(法華経)に生涯を捧げたいと告白した時も…

「銀河鉄道の父」知らなかったことを知り、興味を広げてくれる作品の素晴らしさ

先月、門井慶喜さんの「銀河鉄道の父」(直木賞受賞作品)を読んでいたところ、たまたま今月から映画化されましたので、昨日鑑賞してきました。 本作は、詩人・童話作家である宮澤賢治(1896-1933)のお父さん、宮澤正次郎(1874-1957)の子供達との交流を描いたものです。 明治という新しい時代の中で、賢治を愛し、自由にさせてあげようという気持ちがありつつ、家業や信仰などで賢治と衝突し、葛藤する正次郎。しかし、賢治が愛していた妹の死を挟みながら創り出された賢治の作品に対

父親から子供たちへの愛あふれる映画だった~銀河鉄道の父~

 東日本大震災は、阪神大震災のトラウマを大いに引き起こし、原発事故は私の心を沈ませた。  そんなの考えても無駄なのに、何度「~だったら」とその先の世界を目の前に思い描いてしまっただろう。  この辺りの地域は農家が多くて、それを生業としている人たちでなくても自分の畑で何かしら育てている人が多い。ウチは、ここではよそ者だから、疎外感がありつつその風景を日々目にし、どんな天候でもその空の下、黙々と作業する方たちを尊敬する。私たちはこういった方たちのおかげでご飯を口にできるのだ。