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ノックオンエフェクト

私は音楽に支えられていた。

といっても楽器は弾けないし、歌うのも上手くない。

ただ、私の高校生活は間違いなく音楽に支えられていた。

登下校の時は音楽を聴いていて、昼休みの時も友達と最近知ったアーティストのことを話していた。

思春期は多感だ。
高校生は多感だ。

その多感な時期に、私は東京事変のセンスとスキルが駆使された音に触れ、銀杏BOYZが作り出す泥臭い青春に憧れ、ヤバイTシャツ屋さんを聴きまくった次の日の模試で数学の偏差値を20下げた。

音楽にズタズタにされる日もあれば、優しく包まれるような、そんな気持ちになることもあった。

そのようにしてずっと触れてきた音楽について、ひとつ気づいたことがある。


音楽達は、アーティスト達は、お互いに繋がっている。


楽曲提供などの意図されたコラボレーションの時もあれば、片方が日本を代表するアーティストで、もう片方がマイナーなインディーズのアーティストであっても、そのように思うことがある。

それを体感したのは、Judy and Mary の『どうしよう』をアプリで検索していた時だ。

無事JAMの『どうしよう』はダウンロードでき、ふと下の候補に出てきたTempalayの『どうしよう』が気になった。

聴いてみるとメロウな心地の良い声が響き、時に不気味なサウンドに一瞬で惚れ、一通りダウンロードしてみた。

少し調べていると、関ジャニ∞の丸がおすすめしていたらしい。

おお、丸、やはり素敵なセンスをしている(関ジャニ∞の中で一番丸が好き)。

あれ、そういえば、『言ったじゃないか』は銀杏BOYZの峯田が提供していたな。

峯田は『駆け抜けて性春』でYUKIとコラボしていたな。


…おおぉ…、ループしたぞぉ…。



高校生のわたしには十分すぎる感動だった。


きっとアーティスト達は知らぬ間に、他の、まだ見ぬアーティストと繋がっているんだ。

その意図しない連鎖をわたしは見続けていたいし、それが世界を広げてくれると信じている。

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