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【日記】団地、魔改造_ 240530

散歩の記録

団地

 夕方、雨が上がったので散歩をした。散歩はできるだけ、何かしらの用事を絡めるようにしている。
 たとえば、クリーニング屋さんに預けに行く、ドラッグストアで買い物、フリマ売却品のコンビニ発送など。この日は、クリーニング屋さんからの引き取り。
 もう少し歩きたいので、まだ通ったことのない道を探してみた。団地の中を通ってみよう。

 団地には同じ形をした建物がたくさん詰まっている。外から見るとどれも違いはないように思える。だが、近くでよく見ると実際はそうではない。

 試しに、手近な棟の階段を上る。7階建てくらいだろうか。すぐに目につく壁の張り紙で、ここにどのような人が住んでいるのかが分かる。

張り紙

 「うわあ。」と思ったが、よくよく考えれば、自分の住むマンションも同じ事案が数回あった為、この地域性なのだろう。諦めよう。この地域に土地を持ち、家を構えている人はストレスが絶えないと思う。

人の息遣い

 7階まで上ると、最上階なのをいいことに粗大ゴミと思しき勉強机、空の水槽などの荷物が廊下に積まれており、通路がかなり狭くなっていた。
 何となく、他人の生活の気配を生身で感じることに「うっ」ときて、踵を返した。
 勝手によその家の前を歩いて勝手に「うっ」と感じる。忘れてはいけないのは、迷惑な人(要するに不審者)は私の方だという事だ。

 階を下り、6階の廊下、5階の廊下を歩いてみた。換気扇から漏れる生活臭、夕飯の支度の臭い、生活音、廊下に出された靴、小さなラック、子供用のおもちゃなど。子供のころを思い出すようなものばかり。
 見知らぬ人の生活臭にクラっときた。
 団地には、人間の臭いと息遣いがある。

 エレベーターホールの近くに自転車置き場がある事を初めて知った。なるほど。団地には団地の空気がある。

いろんな人

 脚がめちゃくちゃ長くておじさんのおへその位置に腰がある、若いサラリーマンがいた。
 トップスがSサイズ、ボトムスがLサイズって感じ。おじさんとサラリーマンは、何を話しているのだろう。道路を挟んで向こう側の歩道にいるので、分からなかった。

 きしょいおじさんがいた。古びたマンションの前で、値踏みするように通行人を見ている。
 転職によって使わなくなった方の最寄り駅への通り道だから忘れてたけど、そういえばそうだった。この道を夕方に通ると、きしょいおじさん1~3人がいつもこのマンションの前で通行人を監視しながら井戸端会議をしている。
 気まずくていつも目を逸らしてしまうけど、なんとなくむかつくので次からは挨拶してやろう。

地域

 私が住む地域は、全体的に湿っぽくて臭くて、人が気持ち悪い。
 マンションの人にも挨拶したことがない。挨拶したところで、どうせ半年後には別の人が住んでいる。

 住まいを構えるとしたらこんな雰囲気じゃない町がいいな。

 私の彼が住む地域は、お年寄りだけでなく、家族、子供が多くて、挨拶が気軽にできる雰囲気がある。だから好き。空気もきれいだし、空が広くて明るい。……ように思う。

 実家を出るまでは、隣人との関係が希薄だと地域や近所に気を遣わずに済み、気楽で良いと思い込んでいた。今の住まいに移ってから、気を遣わないとはつまり、周りからも気遣われない事であり、自分にとっては居心地が良くない事だと学んだ。
 何事も「ほどほどなお互い様の精神」が大事なのだなと。

魔改造の夜

 NHKで、魔改造の夜を観た。テレビを年に数回しか観ない私でも興味を持つ、数少ない番組だ。ねほりんぱほりん、魔改造の夜、有吉の壁。この三つくらいしか興味がない。

 Sズキのリーダーが目を潤ませながら抱負を語る場面で早くも目頭が熱くなった。40代のおじさんが、こんなにも滾る思いを注ぐモノづくりってすごいなあ。日本が誇るべき魂だろう。テレビの演出だとしても、全くの嘘ではないだろうから。

 伊集院光が、リタイアして記録なしとなったT橋大学のチームにかけた言葉も良かった。要旨はこんな感じだったと思う。「終わったけど、終わりじゃない。この試合は終わったけど、君たちのモノづくりはこの先も続いていくだろう。」本当にそうだ。人生は何かが終わっても、すべて終わりになる訳ではない。

 40代になっても何かに情熱を注げるような大人でありたい。
 気が付けばあと10年後。あっという間だな。10年後もスノーボードを続けていたらきっとそうなれるだろう。

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