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ぼっち在宅介護 じゃない妄想ふぁみりーひすとりー

NHKでファミリーヒストリーという番組があって、気づいたら見ています。

草刈正雄さんの回とか、眞栄田郷敦さんとか、数々。すごいなぁ!面白いなぁ!なんて拝見しています。


で、いつか、タイミングがあれば、私も祖父母くらいまでは、知りたいときに調べてみたいなぁとは思っていました。

なぜなら…
祖父母がですね。私が生まれた頃には、4人中3人が亡くなっていて、彼らのことを誰も詳しく話してくれたりしなかったので、いくつで亡くなったかもわからずだったんです。

そして、残る一人の母方の祖母は、遠距離にいたこと、晩年に認知症があったこと、割と怖い顔つきな人のイメージがあって。
私が小学校三年生くらいで亡くなったのですが…親しみ感が持てないままお別れした感覚がありました。


で、全然、今回は、祖父母には関係なく。
たまたま、自身のことで、役所で調べ事がありまして、窓口で相談すると…
「それでしたら、戸籍の附票に載っているかもしれませんのでお調べしますね」と言ってくださり、印刷してだしてきてくれました。

戸籍の附票がどういうものかはうまく説明できないので、wikiさんでどうぞ🫴

戸籍の附票(こせきのふひょう)とは、日本において、本籍地の市町村と特別区(以下「市区町村」という。)が戸籍の編製と同時に作成し、その戸籍の在籍者の在籍している間の住所等の履歴を記録する公簿である。

wikipedia

つまり…戸籍のあったところに在籍してた期間がわかり、在籍された方々の近しいところが出てくるモノらしい。

で、たまたま、
「家族全体がわかるようにお願いします」と、父を中心にとったらば、祖父母、叔父叔母の名前がずらずらっと並んだものが出てきて、
ワォ!😳

祖父の生まれた年、亡くなった年。
祖母の生まれた年、亡くなった年。
(祖母については嫁いできてるので、生まれ年が書いていない場合もあります。あくまで、戸籍に在籍した間の記録みたいです。)

祖父母の名前は筆で書かれていて、カッコよく。祖母のお母さんは「れん」さんというそうで、まぁ素敵👏

古のなんとかに思いをはせて…

と思ったら…


あー!母方のもみたいな!と思いつきました。

母方の祖父は早く亡くなったように聞いたけど、どれくらいの若さで亡くなってしまったのか?とか、祖母はなぜあんな難しい顔をしていたのか?とか思いまして…

母方の戸籍の附票も祖父母まで分かる範囲を出していただきました。


注⚠️
戸籍やなんやかんやは、自分からまっすぐ伸びた直系の方は調べたりできます。が、兄弟姉妹とか派生した関係の方々については、調べられませんので悪しからず。


母方の祖父母も筆文字で書いてありました。
どこどこ出身で祖父のお父さんお母さんがどこにいて、祖父がどこで生まれたか…とか。
ずーっと見ていくと…
意外や意外、若く亡くなったという祖父は、60歳で亡くなっていました。若い?若いか…

母から見せられていた祖父の写真は赤ん坊の母を抱くものだけ。かなりオシャレで、男性なのに小粋な感じで、薄命かも?なんて印象を受けていて、あれれれ?という感じでした😂

で、祖母。ん?
お嫁入りの年月日が、母の生まれより後になっています。理由はわかりません。

戦時中ですから、まぁ、そういうこともあるかー?とは思いましたが、何年か前に母の出生届はきちんと出ているわけですから、なんらかの事情があったんだと思います。


で、ま、探偵になりたい私としては、探索欲が…モクモク
でももう分かりそうな人は、認知症の母姉妹しかいませんし、そこにたずねる気はないので…

妄想ふぁみりーひすとりーを楽しんでみることにしました😂


私の記憶によると、祖母と母姉妹は面影がすごく似ています。他人には見え難い…

でも、しっかりと、母の戸籍は父の生まれ育ちにくっついていまして、祖母が後から入っていました。どちらかと言うと祖父の血筋はしっかりある。

出身地を見ると、祖母は母の戸籍から遠く離れた田舎から嫁いでいたようです。
姉妹が多かったのか、七女と記載がありました。


私の勝手な祖母のふあみりーひすとりーは、2つ案があります。

(1)祖父と結婚して、母姉妹をうんでくれたのが祖母の姉だった。なんらかの理由で他界されたかで、妹の祖母が育ての母になるために嫁いできてくれた。

(2)母は、戦時中、田舎に疎開をしていたと言っていました。産みの母がいなかったからか?疎開先で世話をしてくれていたのが、祖母だった?

(3)※コレはないだろうストーリー
祖父と大恋愛をして一緒になることを決めていたが、曽祖父たちに反対されていて、やっと認めてもらえた。とか?😆

おばあちゃん…🥺

どちらにしても、その当時であれば、こういう事情があったならば、祖母はとても苦労をしたのではないかと思うのです。

歳の離れた夫の元に嫁ぐ苦労。
前妻がいたのであればその存在を思う苦労。
育ての親としての苦労。
慣れない土地で、後から入る戸籍、舅姑との関係やらの苦労。

何にもなかったわけではないだろうなぁと、妄想しました。


私が母から聞いたことだと、祖母は、母方の苗字を残すことに非常にこだわりがつよかったようです。なくしてはならないと!
それは、舅姑から厳しく言われてきたからではなかったんではないでしょうか。。。

母が四年制大学に行きたいと願った時、祖母は猛反対をしたそうで、優しい祖父が説得して行かせてもらったといっていました。
長子が短大なのに、末子がそれより高学歴になってはならない!という思いだったようです。

七女の祖母。
学校へ行きたくても行かせてもらえなかったとか、あったのではないでしょうか…


私は一人、歳が離れて生まれて来ました。
遠くに住む祖母と会うのはあまりなく。
晩年、転倒し、認知症が出ていると聞いて、うちの家族が地元にUターンをし、それからの数年の記憶が強いのです。

母から聞いた母の記憶の中の厳しい祖母。
晩年の認知症を知らずにみていた険しい顔の祖母。怖い祖母のイメージはそこからだけ来ていた気がします。


私は、本当のおばあちゃんのいい表情を見る機会がなかっただけなのかもしれません。


きっと、苦労をいっぱいして、少し早めに亡くなった祖父の代わりに、母姉妹を育て、家を守ってくれたんだと思います。

収入源は、不動産を管理してた様子です。
その収益で、生活を支えたのも祖母と聞いています。
祖父は楽しいことが好きな人だったと聞いているので、働かない人だったのではないかな?😅


祖母は73歳でお亡くなりになりました。
祖父が60歳で亡くなり、祖父他界後、約20年間、家と不動産を一人で守ってきてくれました。

そんなに苦労して住んでいた家も不動産も、今となっては、すっかり平地になったと思ったら、あっという間に小さく分けられて何軒もの新しい住宅が立ち並んでいます。ここ5年くらいで。微塵も面影はありません。

祖父が、凝りに凝って建てた日本家屋、城下町だった街中にそれはいい感じの家で、私も母も大好きでした。あと、墓じまいもされました。

母は、生家を失い、参る墓もなくなり…
認知症になりながら、ひどく怒ったり嘆いたりしていましたね。


まぁ、その内訳は知りませんけれど、そうなるにはそうなる理由があったのでしょう。
いろいろとありますわなー、人生は。


とにかく。
おばあちゃんは頑張りはったんやろなぁ…

戸籍の附票をながめて、今宵の妄想ふぁみりーひすとりーは終わります。

長くなりました!スミマセン!

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