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種を蒔く人になりたいかも…新しい道

父からの宿題のつづき、私と主人のこれからの話について、ちょっと書いてみようと思います。



父からの調査依頼で、実家が売れるか売れないか問題。
昨年の状況からすると、今はまだ難しい…という結果にはなりました。
(今後、社会情勢や国や県の条件がかわってくれば、違う未来もあるかもしれませんが…なんにしても縛りが強いエリアです。)


ま、それがはっきりしても…

いや、はっきりする前からかなぁ…

私と主人には、ある考えが出来はじめていました。


私は、
コロナ禍で、介護があって、実家を離れられなくなって…
家族とのいろいろもエスカレートしてきて。
認知症の母だけでなく、家族自体がやや病的な感じで…
正直、父も私もストレス過多になり、もうなんとかハラスメントを受けてる感覚になっていきました。
(突然、父や私の気持ちを無視して会いにきては、乱暴な物言いだったり、無茶な要求を押し付けて了解を取ったことにして帰ったり…正直、頭がおかしくなりそうでした。)


いつか、家ごと火をつけられるんじゃないか?
いつか、後ろから刺されるんじゃないか?

追い詰められると、人はこんな感情を持つものなんですね…
私自身、家族のことでこんな思いに至るなんて思いもしなかったですし、父も晩年になってショックでたまらない気持ちでいたと思います。

介護不安もあってか、父と私だけの感覚かなぁと思っていたら…
他のきょうだいにも話してみると、それまでにいろいろな不安な嫌な思いをしていたようでして。。。

ま、いろいろそーゆー問題を抱えた状態だったんだぁ…と今は理解できています。
が、だからといって、普通の会話が成り立ちませんので…
それなりの距離を保ってこれからを過ごしていきましょうと今はしています。


で、
そういう『不安』に苛まれている時、この度は周りのサポートが大変心強かったです。

主人を筆頭に、「やっぱりちょっとあの様子はおかしいね」と信じ始めてくれた親族。

ケアマネさんに主治医、訪看さん、ヘルパーさん。

そういった事情を加味して、父のメンタルにも寄り添っていただき、苦しくて涙が止まらなくなった私に声をかけ続けてくれました。
本当に、この8年くらいは、ただ苦しく修行みたいな日々でした。


この感覚から抜け出れたきっかけは、まずは弁護士の先生の言葉でした。

「次になんかあったら、警察にすぐ連絡を」と。

「え?」
家族間でも?
と思いましたけど。
その一回の事実が、周りや法的な理解につながるとのことでした。今の時代はそうらしいです。


あとは。。。
この集落の自然環境と周りの皆さんのおかげですね。介護の実体験のある方々や、田舎暮らしの先輩方が、じわじわと温かい手で背中を押してくれたり、さすってくれたりがあったんですね。この関係は私を大きく変えていきました。

終わりの見えない不安な介護生活から、
「好きなだけ長生きし。まかせて👍大丈夫だから」と、父に声をかけられるようになっていきました。
だからか、だんだん父も幻覚とかを見なくなっていきました。
『不安』という魔物は伝播するんだなぁ…とつくづく実感しました。



こーゆー家族の事情とか
地域の方々や介護仲間との関係から

私と主人は、
終の住処をこのエリアに求めてみることを考えはじめました。


ただ縛りがキツいエリアなので、古くからの習わしやらルールはしっかりありますし、清掃活動や町内会の役員も人口が少ないので必須。
楽々な田舎暮らしとはいきません。

ましてや、家を持つ縛り、なおす建てる縛りもありまして、思いついたからと、話がうまくいくわけではありませんでした。

正直、このエリアで1番正解なのは、父の死後、実家を相続することだったんです。

集落の皆さんは、私が父の世話をしていることは皆が知っていまして、かれこれ4〜5年になりますので、当然、我々が相続するもんだ!と思ってらっしゃいました。

が、
私は、この家族間では絶対揉めないはずがない!と予感していましたので、そもそも相続をしない!彼らにとやかく言われないフラットな条件で、ここに暮らす方法を考えたいなぁと思っていました。



集落の中に、小さな古い平屋があって、そこには、小さな畑がついていました。

いいなぁ…と何年も前に思っていましたら、
主人が「あそこならいいよ」と言ってくれたんです。

とは言え、住人だったおばあちゃんはいなくなりましたが、遠距離にお住まいの持ち主さんご一家がずっと管理をされていましたし、この時点であまり親しくもなくて、売却する意思がおありかないのかわかりませんで。

そこに話を取り付けて来れたら…
「いいよ」と言う意味の主人の許可でした。


まだまだ売却のご意志がない時から…
⚫︎挨拶をする
⚫︎立ち話をする
⚫︎継ぐ人がいらっしゃるか聞く
⚫︎この家に憧れがある意思を伝える
⚫︎万一、売却の話がある時は声をかけてほしい

などなど、拗れないように、数年かけてゆっくりとコミュニケーションをとり続けてきました。

細心の注意を払っても、誤解を受けて事態が硬直する時もありました。
やはり、資産とかって、いろんな口を挟む人が出てきてややこしくなりますね。

それでも、地主さんとの信頼関係が徐々にできていきまして、やがてOKをいただきました。
何年かかったかなぁ…


で、父にこのことは逐一報告してました。

「この家の相続は、残念ながら揉めると思う。お金になるならない関係なく、揉めるよ。たぶん。だから、私たちは、はっきりそこから降りたい。
そーゆーいざこざで、残りの人生の時間を減らしたくないねん。けれど、ここの環境は好きだから。〇〇さんちのとこを売ってもらえないか相談してる。ちゃんと、ここが管理されるか見とくから。」
と話したら…

「わかった。この家は、どうなってもいい。誰の手に渡ろうがかまわない。が、集落だけには迷惑はかけたらあかんのや。たのむ。そうとなったら、お前らの金は、もうこの家のために使うな。」
と父は返してきました。



そっから…
取得するための地主さんとの共同作業がはじまったわけですが…

まぁ、縛りがきつい…

建物を主人の名前で取得したり、なおしたり、建て直せないかも…とか。
そもそも、道に接道してないから、新しく家を開発、建てれないかも…とか。
農地は誰でも取得できないから…とか。
難題は山積み…

小さく可愛らしい家と畑の外観とのギャップ…
吐きそうでした。


父の介護をしながら、
役所やらいろんなところへ足を運び、話を聞いて、交渉してみたりしました。
かなり難航して、何度リタイヤしようと思ったか。。。

不動産業者を挟まずにはじまった話…
気づけば、第三者を挟むタイミングを失いまして、地主さんのご協力を得て、ゴールまで当人同士で進めていくことにしました。
なかなか大変でした。
(またこのいろいろはnoteしますね。)


かなりの期間を要して、素人交渉であちこちと話をまとめていきまして。。。

売買契約をし、
法務局へ登記の申請にいきました。

その間のいろいろを父にはつどつど話をして、父は黙って聞いていました☺️

「〇〇さんオッケーくれたよ」
「次は⬜︎⬜︎の役所いってくるで」
「こんど△事務所いってくる」
「留守番頼むで〜」

終盤は、父のきょうだいが父の夢に会いに来てくれることがあって、父が不安になる日も出てきたり…

「夢みたの?まだ大丈夫や。あの世へはゆっくりいったらええ。登記だせたから、次は新しい家が建つとこまで頑張れ!」

そんな会話が、父が逝く前の半年間のいつもの掛け合いになってました。


父が逝く10日ほど前に、
条件と書類が整い、登記申請ができて、1週間後に登記が完了しました。

数日後、地主さんが鍵渡しとご挨拶に来られました。

その夜、父は逝きました。

びっくりです。

ギリギリだったのかなぁ…なんて、
皆思いました。

地主さん、
集落の皆さん、

父の介護のこと、
家族問題のこと、
実家相続から私たち夫婦が距離を取ること、
それでもこのエリアに移住すること、
全てをご理解してくださっていたので。

「え…そうか…お疲れさんやったなぁ…
けど、よかったなぁ!ギリギリ頑張ってくれたんや!わかってたんやでお父さん。よかったよかった。」
と、皆さん、お悔やみと励ましの声ををかけてくださいました。


そんなこんなで…
いい歳をした子供のいない夫婦ですが、
大した役にも立たないかもですが…

父からもらった縁を大事に、
集落のためにちょっとでも何か、

10年20年だけの中継ぎになるかもだけど…

未来の子供たちや環境のためになりそうなことを少しでも
次の世代にバトンを渡せたらいいなぁと思って

新しい道を進んでみようと思います。


長くなりました。
また、新しい道のこと書きます。

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