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ぼっち在宅介護 介護にまつわる勝手な私見と、これからの世界

父のガッツリ介護をはじめて…あと少しで4年になります。通いの遠距離介助、介護を含むと、6年?7年くらいになりますかぁ…

通い〜介護初期は、ダブル介護で、そりゃもういつになったら解放されるのか?
この家にお金がなくなったのは母の認知症のせいで、そこにぶら下がった人たちのせいで、「なんで私が?」ばかり考えていました。

父もただ介護を助けてもらうだけならば、私に頼まず、サービスとか施設もやむなく受け入れて、母と頑張ったかもしれませんが。
お金がない…あとがないくらいにない…となると、プライドを捨てて施設とかいうことすら無理で…認知症の母を制しながら自分の老いを攻略するなど無理だ…と判断したのだと思います。

他にきょうだいはおりますが、家庭としての経済の運営能力は厳しい…と父は判断しました。
ま、私でも残念ながらそう判断します。
この家の財政を立て直し、急務な医療にも、日々にも対応できる母体(家、経済)を再生しながら、介護をするには…気力と体力と多少の経済力、そして時間の作れる家庭環境(子がいない等)の者が必要となる…
父には、「私」一択しかなかったんだと思います。父は、きっと申し訳なかったと思いますが、きょうだいの長子にも「アイツ以外はない!」と宣言をし、私にも「(母を)助けてやってほしい」と頭をさげてきたのです。

そんなこんなで入った在宅介護の世界でしたから、都会のマンション、仕事、友人、全部を置いてきました。
すぐにコロナ禍になり、リモートで仕事ができる環境にもなり、いろいろ仕事のやり方もチャレンジしてみましたが…
夜な夜なトイレに起こされる日々に体が追いつかなくなりまして。半ギレで仕事も全キャンセルし、仕事仲間に失礼な態度をとったと思います。

ですから、仕事と介護の両立の難しさ、通い介護の限界とか、本当に本当に痛く痛く身に染みてきました。


そう言う時は、私の感情が高ぶっていて、もうトゲトゲいっぱいだったと思います。
そんな人に介護される側(特に認知症の母)は、そりゃあもう気分は悪いし、自分の正当性は押し返したいし、できるできない構わずに「できる」を押し付けてきて、反発しあって肉ダン状態でした。


どれだけ私が時間を割き、どれだけ私が自腹(主人の財布)を割き、どれだけ私の体力気力、思いを割いていると思っているのか!!

と、ずっと腹を立てながら、毎夜、隠れて泣いて怒って途方に暮れていました。
全部置いて父と逃げてやろう…と思う日もありました。母が父の財布や通帳を返してほしいがため、他のきょうだいと父と私に詰め寄ることも何度もありました。あまりの醜い惨状に、次第に父の様子がおかしくなり、不穏になり…
もう私の精神状態はギリギリになっていました。


母が勢いで家を飛び出し、きょうだいのところへ行った時、やっと、ちゃんと考える時間ができました。

介護とは
お金とは
親とは
家族とは
幸せとは
不幸とは


そもそも、なぜ、私はここにいるのか…?


私は、一切の希望や要望を無視して、都会のマンションで知らぬ存ぜぬを決め込んでも良かったんです。末子なんでね。

長子にしろ、中子にしろ、古い日本の田舎の固定概念で言えば、責任の所在があるとするならば…上からじゃね?って話ですし。

でも、来てしまったわけです。

「父だけは最後まで見たい」と言う私の言葉を聞いて、主人が「当たり前やろ、ええで」と背中を押してくれた訳です。


何故か?

遣わされたかも…と思いました。

人生か運命かはわかりませんけど、
「お前は今、ここだ!」と置かれた気がしたんです。

すると…
なんとなくですが、
今、ここにしかいられないならば、ここでしかできないことをいっぱいやろう!
と思いました。

私自身転職もいろいろしてきましたから、逃げることも全然厭わない性格です。
無理なものは無理なんで。逃げるべき時は逃げるに越したことはありません。

でも、この介護については違ったのです。

「父の最後はこの家から送りださねば」と、思ったんです。家族がバラバラになったから、意地もあったと思います。


で、そっからは、私にとっての持続可能な介護の道の模索に入りました。

絶対、リターンがいる!
今の金なし父から受け取れるリターン…それは、情報と経験だと思いました。
物は、いつか、またひもじい人たちがたかってきます。食いちぎられて残骸しか残りません。

ゾンビ🧟‍♀️化した人たちは、もう目の前のことしか見てませんから、罪に問われそうなことも目の色を変えてやりますから。

物や権利に執着することはやめました。
我々夫婦は。


まず、父から有用な老化、介護の情報を得れば、自分たちの老後の役に立ちます。これは盗みようがありません。

有用な情報を取るためには、父に前向きに介護に向き合ってもらう必要があります。

どうする?

どんな失態にも動じない私を作るんだ💪
と決意しました。

オムツの交換、どんとこい!気にするな!
入れ歯の洗浄、どんとこい!ずっと食べよう!
食事の提供、介助、テキトーやけど任せとけ!🤜

リハビリの受け入れ、説教してやりました!

「若い人たちがこんなに頑張って経験を積もうとしている時に、自分が実験台になってでも力になろうとは思わないのか?仕事人の育成がオヤジの仕事だったやろ?」

ガンガンオヤジに愛?の杭を打ち込んでやりました。最後まで二人で行くぞ〜っ!と。


そうやって来たから、今があります。
実に有用な経験が、私や主人に積み上がってきています。これは盗めないでしょう。


これからの日本、世界で、介護をあらためて考えますと…

主人の田舎で、コロナ前に施設入居の待ち人数は50人程度でした。
コロナ禍があけ、今調べると600人超えとなってました…
数年で10倍以上です。
ヒヤッとしました。

戦後の日本、ベビーブームの時のおじさんおばさんが、もうすぐ介護されデビューしはじめます。
今でも人員が足りない介護界です。そのベビーブームの人波が来たら、国の予算がどうとか、福祉がどうとか、関係なく、介護保険サービスなんて皆に行き渡る訳はありません。

きっと、介護業界は民間のサービスに委託され、一部のセレブリティな人々だけが受けられるようなものになってしまうのではないかと思うのです。


いかに、介護していくか…介護されるか…

いや、介護という言葉はなくなり…
自護という言葉ができるかもしれません。

「自護」自分で守り、自分で保護する

それには、いろんな経験と失敗と成功とかがあるに限ると思います。

ここで転ぶかー
食べると傷治るんやー
寝たきりでもできることあるなー
老化は、体にも細部にもくるけど、脳や感性や気持ちにもくるんやなぁ…

とか、見えてくるのです。

自分のこだわりの強さ、体の特徴は、近親者が一番やはり、近いものがあるわけで…それをしっかり見ていけば、失敗も多いかもしれないけれど…自分の老いの想定範囲は広くなります。

誰しもに自分の親の介護をしろ!なんては、おもいません。向き不向きがありますし。やらないでいいという人はそれでいいと思うのです。

でも、やりたくないのにやらなきゃいけない人がいたとしたら…
そっと私はいいたいのです。
「その経験、宝の山かもよ」と。


大きく開き直ってみたら、意外と父と楽しい日々がやってきました。強がりでなく。

繋がりようのない家族は、まぁ、もう諦めました。父も私も。
近隣に住む親族とも相談し、今年の頭に弁護士の先生に相談に行って来たら…「なんにも問題おきてないですよ」と言われたんです。
あーそんなんだーと思いました。
説明されて全てがスコンと腑に落ちました。

物とか権利とかは、地球サイズで言えば、勝手に人間が括ったもので…本来、他の動植物からしたら誰の許可得てんねん!という話です。

でも、執着のある人ほど、学歴や年収や社会的地位とか、家族のあるなし、子がいるいない、どこに住んでる、何持ってる、今何してる、、、そんなんに縛られてがんじがらめです。

息詰まりますよ💨
血流止まりますよ🩸
病気なりますよ〜📣

いらんとこには止まらんでいい。
でも、必要なとこには何故か止まらされるかもしれません。
もし、そうかも?と、思ったら、誰からも奪われない経験をガンガン得てもらえたら…と、おばさんは思うのです。

地球みんなの勤労に感謝します🙏

長くなりました。スミマセン。


父が45年前にくれたぬいぐるみ
子供にプレゼントなど絶対しない人でした。
が、何故か、私にだけこの子だけくれました。
母ときょうだいがヤキモチを焼いて大変でした。
ま、だからかなぁ☺️
🐻清拭して、涼んでおられます☺️

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